サピエンス全史の読書メモ
上巻を読み終えてのメモは、2017 年 12 月 6 日にブログに書いて公開した。
それから 1 年近くを要して、ようやく下巻を読み終えたのでこれもブログに書いて自分の中でサピエンス全史を終わらせたい。その下書きとなる読書メモをここに書いていく。 -----
-----
目次
第1部 認知革命
1章 唯一生き延びた人類種
2章 虚構が協力を可能にした
3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
4章 史上最も危険な種
第2部 農業革命
5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
6章 神話による社会の拡大
7章 書記体系の発明
8章 想像上のヒエラルキーと差別
第3部 人類の統一
9章 統一へ向かう世界
10章 最強の征服者、貨幣
11章 グローバル化を進める帝国のビジョン
12章 宗教という超人間的秩序
13章 歴史の必然と謎めいた選択
第4部 科学革命
14章 無知の発見と近代科学の成立
15章 科学と帝国の融合
16章 拡大するパイという資本主義のマジック
17章 産業の推進力
18章 国家と市場経済がもたらした世界平和
19章 文明は人間を幸福にしたのか
20章 超ホモ・サピエンスの時代へ
11 章までが上巻、12 章からが下巻。
-----
まずは「第 3 部 : 人類の統一」からの引用。
今日、宗教は差別や意見の相違、不統一の根源と見なされることが多い。だがじつは、貨幣や帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する三つの要素の一つだったのだ。社会秩序とヒエラルキーはすべて想像上のものだから、みな脆弱であり、社会が大きくなればなるほど、さらに脆くなる。宗教が担ってきたきわめて重要な歴史的役割は、こうした脆弱な構造に超人間的な正当性を与えることだ。
農業革命には宗教革命が伴っていたらしい。
したがって、農業革命の最初の宗教的結果として、動植物は霊的な円卓を囲む対等のメンバーから資産に格下げされた。
このように、一神教は秩序を説明できるが、悪に当惑してしまう。二元論は悪を説明できるが、秩序に悩んでしまう。この謎を論理的に解決する方法が一つだけある。全宇宙を創造した単一の全能の絶対神がいて、その神は悪である、と主張するのだ。だが、そんな信念を抱く気になった人は、史上一人もいない。
一神教信者はそのような二元論の信念(ちなみに、旧約聖書にはそうした二元論の信念はどこにも見つからない)をどうして信奉できるのだろう? 論理的には、それは不可能だ。人は、単一の全能の絶対神を信じるか、ともに全能ではない二つの相反する力を信じるかのどちらかのはずだ。それでも、人類には矛盾しているものを信じる素晴らしい才能がある。だから、厖大な数の敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒が、全能の絶対神と、それとは独立した悪魔の存在を同時に信じていたとしても、驚いてはならない。無数のキリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒は、善き神が悪魔との戦いで私たちの助けを必要としているとさえ想像している。それが動機となって、イスラム教やキリスト教の聖戦を求める呼びかけがなされたりするのだ。
じつのところ一神教は、歴史上の展開を見ると、一神教や二元論、多神教、アニミズムの遺産が、単一の神聖な傘下で入り乱れている万華鏡のようなものだ。平均的なキリスト教徒は一神教の絶対神を信じているが、二元論的な悪魔や、多神論的な聖人たち、アニミズム的な死者の霊も信じている。このように異なるばかりか矛盾さえする考え方を同時に公然と是認し、さまざまな起源の儀式や慣行を組み合わせることを、宗教学者たちは混合主義と呼んでいる。じつは、混合主義こそが、唯一の偉大な世界的宗教なのかもしれない。
もし宗教が、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系であるとすれば、ソヴィエト連邦の共産主義は、イスラム教と比べて何ら遜色のない宗教だった。
私たちは信念を、神を中心とする宗教と、自然法則に基づくという、神不在のイデオロギーに区分することができる。
仏教徒がヒンドゥー教の神々を崇拝できたり、一神教信者が悪魔の存在を信じられたりしたのと同じように、今日の典型的なアメリカ人は国民主義者である(歴史の中で果たすべき特別な役割を持ったアメリカ国民の存在を信じている)と同時に、自由市場主義の資本主義者でもあり(自由競争と私利の追求こそが、繁栄する社会を築く最善の方法であると信じている)、さらに自由主義の人間至上主義者でもある(人間は奪うことのできない特定の権利を造物主から授けられたと信じている)。
自由主義的な人間至上主義が個々の人間にとって最大の自由を求めるのに対して、社会主義的な人間至上主義は、全人類の平等を求める。社会主義者によれば、不平等は人間の尊厳に対する最悪の冒瀆だという。
文化は一種の精神的感染症あるいは寄生体で、人間は図らずもその宿主になっていると見る学者がしだいに増えている。ウイルスのような有機的寄生体は、宿主の体内で生きる。それらは増殖し、一人の宿主から別の宿主へと拡がり、宿主に頼って生き、宿主を弱らせ、ときには殺しさえする。宿主が寄生体を新たな宿主に受け継がせられるだけ長く生きさえすれば、宿主がどうなろうと寄生体の知ったことではない。それとそっくりな形で、文化的な概念も人間の心の中に生きている。そうした概念は増殖して一人の宿主から別の宿主へと拡がり、ときおり宿主を弱らせ、殺すことさえある。雲の上のキリスト教徒の天国という信念や、この地上における共産主義の楽園という信念をはじめ、文化的な概念は、人間を強制して、その概念を広めるのに人生を捧げさせることができる──たとえ命を代償に差し出さなければならない場合にさえ。人間は死ぬが、概念は広まる。このように考えれば、文化は他者につけ込むために一部の人が企てた陰謀(マルクス主義者たちはそのように文化を捉える傾向がある)ではなくなる。むしろ、文化は精神的な寄生体で、偶然現れ、それから感染した人全員を利用する。
この考え方は、ミーム学と呼ばれることがある。それは、生物の進化が「遺伝子」と呼ばれる有機的情報単位の複製に基づいているのとちょうど同じように、文化の進化も「ミーム」と呼ばれる文化的情報単位の複製に基づいているという前提に立つ。成功するのは、宿主である人間にとっての代償と便益に関係なく、自らのミームを繁殖させるのに非常に長けた文化だ。
ゲーム理論だろうが、ポストモダニズムだろうが、ミーム学だろうが、何と呼ぼうと、歴史のダイナミクスは人類の境遇を向上させることに向けられてはいない。歴史の中で輝かしい成功を収めた文化がどれもホモ・サピエンスにとって最善のものだったと考える根拠はない。進化と同じで、歴史は個々の生き物の幸福には無頓着だ。
以降は「第 4 部 : 科学革命」からの引用。
過去五〇〇年間に、人間の力は前例のない驚くべき発展を見せた。一五〇〇年には、全世界にホモ・サピエンスはおよそ五億人いた。今日、その数は七〇億に達する。一五〇〇年に人類によって生み出された財とサービスの総価値は、今日のお金に換算して、二五〇〇億ドルと推定される。今日、人類が一年間に生み出す価値は、六〇兆ドルに近い。一五〇〇年には人類は一日当たりおよそ一三兆カロリーのエネルギーを消費していた。今日、私たちは一日当たり一五〇〇兆カロリーを消費している(これらの数字を見直してほしい。私たちの人口は一四倍、生産量は二四〇倍、エネルギー消費量は一一五倍に増えたのだ)。
現代の戦艦が一隻、コロンブスの時代にタイムスリップしたとしよう。その戦艦は、ほんの数秒のうちにニーニャ号とピンタ号とサンタ・マリア号を木っ端微塵にし、それから当時のすべての大国の軍艦を撃沈できるだろう。自分はかすり傷一つ負わずに。
人類は少なくとも認知革命以降は、森羅万象を理解しようとしてきた。私たちの祖先は、厖大な時間と労力を注ぎ込んで、自然界を支配する諸法則を発見しようとした。だが、近代科学は従来の知識の伝統のいっさいと三つの重大な形で異なる。
進んで未知を認める意志
観察と数学の中心性
新しい力の獲得
科学革命はこれまで、知識の革命ではなかった。何よりも、無知の革命だった。科学革命の発端は、人類は自らにとって最も重要な疑問の数々の答えを知らないという、重大な発見だった。
進んで無知を認める意思があるため、近代科学は従来の知識の伝統のどれよりもダイナミックで、柔軟で、探究的になった。そのおかげで、世界の仕組みを理解したり新しいテクノロジーを発明したりする私たちの能力が大幅に増大した。
とはいえ、近代の文化は以前のどの文化よりも、無知を進んで受け容れる程度がはるかに大きい。近代の社会秩序がまとまりを保てるのは、一つには、テクノロジーと科学研究の方法とに対する、ほとんど宗教的なまでの信奉が普及しているからだ。この信奉は、絶対的な真理に対する信奉に、ある程度まで取って代わってしまった。
一六二〇年にフランシス・ベーコンは『ノヴム・オルガヌム──新機関』(桂寿一訳、岩波文庫、一九七八年他)と題する科学の声明書を刊行した。その中で彼は、「知は力なり」と主張した。「知識」の真価は、それが正しいかどうかではなく、私たちに力を与えてくれるかどうかで決まる。
ローマ軍はとくに素晴らしい例を提供してくれる。ローマ軍は当時の最高の軍隊だったが、技術に関して言えば、ローマはカルタゴやマケドニア、セレウコス帝国よりも優れてはいなかった。ローマ軍の優位は、その効率的な組織や、鉄の規律、大規模な予備兵力のおかげだった。ローマ軍は研究開発部門を創設することはけっしてなかったし、兵器は何世紀にもわたってほぼ同じままだった。紀元前二世紀にカルタゴを倒し、ヌマンティア人を打ち破った将軍スキピオ・アエミリアヌスの軍団が、五〇〇年後のコンスタンティヌス帝の時代に突然現れたとしても、スキピオにはコンスタンティヌスを打ち負かす可能性が十分あった。今度は、数世紀前の将軍、たとえばナポレオンが軍を率いて現代の機甲旅団に立ち向かったらどうなるか、想像してほしい。ナポレオンは卓越した戦術家で、彼の将兵は歴戦の勇士たちだが、その技能も現代兵器の前には歯が立たない。
古代ローマと同じことが古代中国にも当てはまる。ほとんどの将軍と哲学者が、新しい兵器の開発は自らの義務だとは思っていなかった。中国史で最も重要な軍事的発明は、火薬だ。もっとも、私たちの知るかぎりでは、火薬は不老不死の霊薬を探していた道教の錬金術師によって偶然発明された。火薬がその後どのように使われたかを見ると、なおさら物事がはっきりしてくる。その道教の錬金術師のおかげで中国は世界の支配者になっただろうと考えてもおかしくない。ところが実際には、中国人はこの新しい化合物を主に爆竹に使った。宋帝国がモンゴル人の侵略によって崩壊するときにも、中世版マンハッタン計画を実施して最終兵器を発明し、帝国を救おうとする皇帝はいなかった。火薬の発明から約六〇〇年たった一五世紀になってようやく、アフロ・ユーラシア大陸の戦場で大砲が決め手となった。火薬の恐ろしい潜在能力が軍事目的に使われるまでに、なぜこれほど長い時間がかかったのか? それは火薬が出現した時代には、王や学者、商人は、新しい軍事技術によって救われるとも、金持ちになれるとも思っていなかったからだ。
つまり、科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる。イデオロギーは研究の費用を正当化する。それと引き換えに、イデオロギーは科学研究の優先順位に影響を及ぼし、発見された物事をどうするか決める。したがって、人類が他の数ある目的地ではなくアラモゴードと月に到達した経緯を理解するためには、物理学者や生物学者、社会学者の業績を調べるだけでは足りない。物理学や生物学、社会学を形作り、特定の方向に進ませ、別の方向を無視させたイデオロギーと政治と経済の力も、考慮に入れなくてはならないのだ。
とくに注意を向けるべき力が二つある。帝国主義と資本主義だ。科学と帝国と資本の間のフィードバック・ループは、過去五〇〇年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだったと言ってよかろう。今後の章では、その働きを分析していく。まず、科学と帝国という二つのタービンがどのようにしてしっかり結びついたかに注目し、続いて、両者が資本主義の資金ポンプにどのようにつながれたかを見てみることにする。
日本が例外的に一九世紀末にはすでに西洋に首尾良く追いついていたのは、日本の軍事力や、特有のテクノロジーの才のおかげではない。むしろそれは、明治時代に日本人が並外れた努力を重ね、西洋の機械や装置を採用するだけにとどまらず、社会と政治の多くの面を西洋を手本として作り直した事実を反映しているのだ。
コロンブスは、無知を自覚していなかったという点で、まだ中世の人間だったのだ。彼は、世界全体を知っているという確信を持っていた。そして、この重大な発見さえ、その確信を揺るがすことはできなかった。
世界の陸地面積の四分の一強を占める、七大陸のうちの二つが、ほとんど無名のイタリア人にちなんで名づけられたというのは、粋な巡り合わせではないか。彼は「私たちにはわからない」と言う勇気があったというだけで、その栄誉を手にしたのだから。
アメリカ大陸の発見は科学革命の基礎となる出来事だった。そのおかげでヨーロッパ人は、過去の伝統よりも現在の観察結果を重視することを学んだだけでなく、アメリカを征服したいという欲望によって猛烈な速さで新しい知識を求めざるをえなくなったからだ。彼らがその広大な新大陸を支配したいと心から思うなら、その地理、気候、植物相、動物相、言語、文化、歴史について、新しいデータを大量に集めなければならなかった。聖書や古い地理学の書物、古代からの言い伝えはほとんど役に立たなかったからだ。
これ以降、ヨーロッパでは地理学者だけでなく、他のほぼすべての分野の学者が、後から埋めるべき余白を残した地図を描き始めた。自らの理論は完全ではなく、自分たちの知らない重要なことがあると認め始めたのだ。
イスラム教徒がインドを征服したときには、考古学者が同行して体系的にインドの歴史を調べたり、人類学者が文化を研究したり、地質学者が土壌を調べたり、動物学者が動物相を調査したりはしなかった。一方、イギリスがインドを征服したときには、そういったことをすべて行なった。
人類は何千年もの間、この袋小路にはまっていた。その結果、経済は停滞したままだった。そして近代に入ってようやく、この罠から逃れる方法が見つかった。将来への信頼に基づく、新たな制度が登場したのだ。この制度では、人々は想像上の財、つまり現在はまだ存在していない財を特別な種類のお金に換えることに同意し、それを「 信用」と呼ぶようになった。この信用に基づく経済活動によって、私たちは将来のお金で現在を築くことができるようになった。信用という考え方は、私たちの将来の資力が現在の資力とは比べ物にならないほど豊かになるという想定の上に成り立っている。将来の収入を使って、現時点でものを生み出せれば、新たな素晴らしい機会が無数に開かれる。
近代以前の問題は、誰も信用を考えつかなかったとか、その使い方がわからなかったとかいうことではない。あまり信用供与を行なおうとしなかった点にある。なぜなら彼らには、将来が現在よりも良くなるとはとうてい信じられなかったからだ。概して昔の人々は自分たちの時代よりも過去のほうが良かったと思い、将来は今よりも悪くなるか、せいぜい今と同程度だろうと考えていた。経済用語に置き換えるなら、富の総量は減少するとは言わないまでも、限られていると信じていたのだ。したがって、個人としても王国としても、あるいは世界全体としても、一〇年後にはより多くの富を生み出すなどと考えるのは、割の悪い賭けに思えた。ビジネスはあたかもゼロサムゲームのように見えた。もちろん、あるベーカリーが繁盛することはあるだろうが、その場合には隣のベーカリーが犠牲になる。ヴェネツィアが繁栄するかもしれないが、そのときはジェノヴァが窮乏することになる。イングランド王が富を増すには、フランス王の富を奪うしかない。パイの切り方はいろいろあっても、パイ全体が大きくなることはけっしてありえないのだ。
過去五〇〇年の間に、人々は進歩という考え方によって、しだいに将来に信頼を寄せるようになっていった。この信頼によって生み出されたのが信用で、その信用が本格的な経済成長をもたらし、成長が将来への信頼を強め、さらなる信用への道を開いた。
資本主義は「資本」をたんなる「富」と区別する。資本を構成するのは、生産に投資されるお金や財や資源だ。一方、富は地中に埋まっているか、非生産的な活動に浪費される。非生産的なピラミッドの建設に資源を注ぎ込むファラオは資本主義者ではない。スペイン財宝艦隊を襲い、金貨のぎっしり詰まった箱をカリブ海のどこかの島の砂浜に埋めて隠す海賊は資本主義者ではない。だが、自分の収入のいくばくかを株式市場に再投資する勤勉な工場労働者は資本主義者だ。
近代になると、資本主義の信条を固く信奉する新たなエリート層が登場して貴族に取って代わった。この新たな資本主義エリート層を構成するのは公爵や侯爵ではなく、取締役会長、株式売買人、実業家などだ。こうした有力者たちは中世の貴族よりもはるかに金持ちだが、桁外れの浪費への関心はずっと低く、自分が得た利益のうち、非生産的な活動に費やす割合は大幅に少ない。
資本主義の第一の原則は、経済成長は至高の善である、あるいは、少なくとも至高の善に代わるものであるということだ。
一九〇八年以降、とりわけ一九四五年以降は、資本主義者の強欲ぶりには多少歯止めがかかった。それは共産主義への恐怖によるところが大きかった。だが不平等は依然としてはびこっている。二〇一四年の経済のパイは、一五〇〇年のものよりはるかに大きいが、その分配はあまりに不公平で、アフリカの農民やインドネシアの労働者が一日身を粉にして働いても、手にする食料は五〇〇年前の祖先よりも少ない。農業革命とまったく同じように、近代経済の成長も大がかりな詐欺だった、ということになりかねない。人類とグローバル経済は発展し続けるだろうが、さらに多くの人々が飢えと貧困に 喘ぎながら生きていくことになるかもしれない。
石油よりもさらに驚異的なのが、電気の歴史だ。二世紀前には、電気は経済で何の役割も果たしておらず、使われたとしても、不可解な科学実験や安っぽい魔法のトリックでぐらいのものだった。それが、一連の発明のおかげで、私たちにとって何でも願い事をかなえてくれるランプの魔人となった。私たちがパチンと指を鳴らすと、本を印刷し、服を縫い、野菜を新鮮に保ち、アイスクリームを凍ったまま貯蔵し、夕食を調理し、犯罪者を処刑し、思考を保存し、笑顔を記録し、夜を明るく照らし、無数のテレビ番組で楽しませてくれる。電気がどのようにしてこれらすべてを成し遂げるのかを理解している人はほとんどいないが、電気なしの暮らしを想像できる人は、それに輪をかけて少ない。
これらの工場やオフィスは、野良仕事から解放された厖大な数の人手と頭脳を吸収するにつれ、空前の量の製品を世に送り出し始めた。人類は今、かつてなかったほど厖大な鉄鋼を生産し、衣料を製造し、建物を建てている。さらに、電球や携帯電話、カメラ、食器洗い機など、かつては想像すらできなかった、気が遠くなるほど多様な品物を生み出している。人類史上初めて、供給が需要を追い越し始めた。そして、まったく新しい問題が生じた。いったい誰がこれほど多くのものを買うのか?
人々は歴史の大半を通して、このような文句には惹かれるよりも反発する可能性のほうが高かった。彼らはきっと、こんなものは手前勝手で、退廃的で、道徳的に堕落していると決めつけただろう。消費主義は通俗心理学(「 やるしかない!」〔訳註 ナイキのキャッチフレーズ〕)の助けを借りて、懸命に人々を説得し、欲望の満足は自分にとって良いことであるのに対して、倹約は自己虐待だと思い込ませようとした。
資本主義と消費主義の価値体系は、表裏一体であり、二つの戒律が合わさったものだ。富める者の至高の戒律は、「投資せよ!」であり、それ以外の人々の至高の戒律は「買え!」だ。
産業革命は、人間社会に何十もの大激変をもたらした。産業界の時間への適応は、ほんの一例にすぎない。その他の代表的な例には、都市化や小作農階級の消滅、工業プロレタリアートの出現、庶民の地位向上、民主化、若者文化、家父長制の崩壊などがある。 とはいえ以上のような大変動もみな、これまでに人類に降りかかったうちで最も重大な社会変革と比べると、影が薄くなる。その社会変革とは、家族と地域コミュニティの崩壊および、それに取って代わる国家と市場の台頭だ。私たちの知りうるかぎり、人類は当初、すなわち一〇〇万年以上も前から、親密な小規模コミュニティで暮らしており、その成員はほとんどが血縁関係にあった。認知革命と農業革命が起こっても、それは変わらなかった。二つの革命は、家族とコミュニティを結びつけて部族や町、王国、帝国を生み出したが、家族やコミュニティは、あらゆる人間社会の基本構成要素であり続けた。ところが産業革命は、わずか二世紀余りの間に、この基本構成要素をばらばらに分解してのけた。そして、伝統的に家族やコミュニティが果たしてきた役割の大部分は、国家と市場の手に移った。
そこで国家と市場は、けっして拒絶できない申し出を人々に持ちかけた。「個人になるのだ」と提唱したのだ。「親の許可を求めることなく、誰でも好きな相手と結婚すればいい。地元の長老らが眉をひそめようとも、何でも自分に向いた仕事をすればいい。たとえ毎週家族との夕食の席に着けないとしても、どこでも好きな所に住めばいい。あなた方はもはや、家族やコミュニティに依存してはいないのだ。我々国家と市場が、代わりにあなた方の面倒を見よう。食事を、住まいを、教育を、医療を、福祉を、職を提供しよう。年金を、保険を、保護を提供しようではないか」
ロマン主義の文学ではよく、国家や市場との戦いに囚われた者として個人が描かれる。だが、その姿は真実とはかけ離れている。国家と市場は、個人の生みの親であり、この親のおかげで個人は生きていけるのだ。市場があればこそ、私たちは仕事や保険、年金を手に入れられる。専門知識を身につけたければ、公立の学校が必要な教育を提供してくれる。新たに起業したいと思えば、銀行が融資してくれる。家を建てたければ、工事は建設会社に頼めるし、銀行で住宅ローンを組むことも可能で、そのローンは国が補助金を出したり保証したりしている場合もある。暴力行為が発生したときには、警察が守ってくれる。数日間体調を崩したときには、健康保険が私たちの面倒を見てくれる。病が数か月にも及ぶと、社会保障制度が手を差し伸べてくる。二四時間体制の介護が必要になったときには、市場で看護師を雇うこともできる。看護師はたいてい、世界の反対側から来たようなまったくの他人で、もはや我が子には期待できないほど献身的に私たちの世話をしてくれる。十分な財力があれば、晩年を老人ホームで過ごすこともできる。税務当局は、私たちを個人として扱うので、隣人の税金まで支払うよう求めはしない。裁判所もまた、私たちを個人と見なすので、いとこの犯した罪で人を罰することはけっしてない。
国家と市場と個人の関係は穏やかではない。国家と市場は、相互の権利と義務に関して異議を唱え、個人は、国家も市場も求めるものは多いのに提供するものが少な過ぎると不満を漏らす。市場が個人を搾取したり、国家が軍隊や警察、官僚を動員して、個人を守るのではなく迫害したりすることも多い。ところが、三者の関係は、まがりなりにも機能しているのだから、驚かされる。というのもそれは、無数の世代にわたって続いてきた人間社会の取り決めに反するからだ。何百万年もの進化の過程で、人間はコミュニティの一員として生き、考えるよう設計されてきた。ところがわずか二世紀の間に、私たちは疎外された個人になった。文化の驚異的な力をこれほど明白に証明する例は、他にない。
消費主義と国民主義は、相当な努力を払って、何百万もの見知らぬ人々が自分と同じコミュニティに帰属し、みなが同じ過去、同じ利益、同じ未来を共有していると、私たちに想像させようとしている。それは噓ではなく、想像だ。貨幣や有限責任会社、人権と同じように、国民と消費者部族も共同主観的現実と言える。
この二世紀の変革があまりに急激だったために、社会秩序の根幹を成す特徴にまで変化が起こった。社会秩序とは元来、堅固で揺るぎないものだった。「秩序」は、安定性と継続性を含意していた。急速な社会変革は例外的で、社会の変化はたいてい、無数の小さなステップを積み重ねた結果として生じた。人間には、社会構造を柔軟性のない永遠の存在と見なす傾向があった。家族やコミュニティは、秩序の範囲内において、自らの立場を変更しようと奮闘するかもしれないが、私たちは自分が秩序の基本構造を変えられるとは思いもしなかった。そこで人々はたいてい、「今までもずっとこうだったし、これからもずっとこうなのだ」と決めつけて、現状と折り合いをつけていた。
暴力の減少は主に、国家の台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった(前記の数字が示すように、今日でさえ、身近な犯罪のほうが国際的な紛争よりもはるかに多くの命を奪っている)。
だがこれらは、歴史について私たちが投げかけうる最も重要な問いだ。現在のさまざまなイデオロギーや政策は、人間の幸福の真の源に関するかなり浅薄な見解に基づいていることが多い。国民主義者は、私たちの幸福には政治的な自決権が欠かせないと考える。共産主義者は、プロレタリアート独裁の下でこそ、万人が至福を得られるだろうと訴える。資本主義者は、経済成長と物質的豊かさを実現し、人々に自立と進取の精神を教え諭すことによって、自由市場だけが最大多数の最大幸福をもたらすことができると主張する。
歴史書のほとんどは、偉大な思想家の考えや、戦士たちの勇敢さ、聖人たちの慈愛に満ちた行ない、芸術家の創造性に注目する。彼らには、社会構造の形成と解体、帝国の勃興と滅亡、テクノロジーの発見と伝播についても、語るべきことが多々ある。だが彼らは、それらが各人の幸せや苦しみにどのような影響を与えたのかについては、何一つ言及していない。これは、人類の歴史理解にとって最大の欠落と言える。私たちは、この欠落を埋める努力を始めるべきだろう。
そのうえ、人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで、相変わらず不満に見える。カヌーからガレー船、蒸気船、スペースシャトルへと進歩してきたが、どこへ向かっているのかは誰にもわからない。私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいかは、ほとんど見当もつかない。人類は今までになく無責任になっているようだから、なおさら良くない。物理の法則しか連れ合いがなく、自ら神にのし上がった私たちが責任を取らなければならない相手はいない。その結果、私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど追い求めないが、それでもけっして満足できずにいる。
自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?