「好き」ということについて
趣味活動
「写真が好きです」/「料理が好きです」/「釣りが好きです」/「猫が好きです」
「趣味は写真です」/「趣味は料理です」/「趣味は釣りです」/「趣味は猫です」
って、カテゴリはいいけど、何が好きかについての本質って適切に述べることができているの?
英語にしてちょっと考える
後で整理する
「好き」ということについて
「好き」というか、何が重要か WHAT MATTERS?
「好き」というのは自分にとってそれが重要である理由になる。
もう一つの、自分にとって何かが重要になる理由は、個人的・政治的な位置(〈私〉の現在地)
猫が「好き」
「好き」というのは、非常に曖昧な関係性の表しかたである。何が、どのように、「好き」なのか
「猫が好きだから飼っています」←「「好き」だから「飼う」」は、必ずしも常ではない。
象が「好き」
象が「好き」な人は象を飼うだろうか?
「飼う」というのは、「好き」ということが ”立ち上がった”(ここ英訳したい) ときの一つの関係性のあり方
毎日餌をあげる、いつでも撫でられる、といったことが〈私〉にとって重要だから「飼う」のだ。
象が「好き」 →毎日餌をあげたいのか、いつでも撫でていたいのか、あるいは、遠くから眺めていたい、その大きさを感じるだけでよい、象の上に乗ることが好き、
「好き」という語は、なんら身体的、触覚的、感覚的なことについては述べていない。
「好き」ということが、どういう、私の、身体的、触覚的、感覚的な行為につながるのか、まで考えなければならない。
「~~が好き」な人同士でも、~~との関係性、距離の取り方、に差異があることを気づかせてくれる
「象が好きです」「手乗り象は好きですか?」「手乗り象は好きではありません」→象の「大きさ」(象の「大きい」という性質)が私にとって重要だと解る。
「対象」の分解
「象」というのは様々な性質の束
私は対象の、何が、どのように、好きなのかを考える→私と対象(猫・象)との関係が少し明確になってくる
自分が好きなものについて、より詳しく明確に自分で分かっていることは、重要なことのように思う。→世界がよりクリアに見え、豊かに、楽しみが増える ?
「ジャグリングが好きです」と言うとき、ジャグリングの何が、どのように好きなのかを自分でわかっていることは、自分のジャグリングライフがより豊かに、(はっきりと好みに焦点を絞って、あるいは、また違った側面からジャグリングを発見し楽しめるかも)体験できる。
「象が好き」な人が、象の「大きさ」を「見る」こと(だけ)が好き、なのだと分かり、その上で、象に「乗る」、象を「飼う」ことという楽しみが見つかるかもしれない。
それは「より豊かに世界を見られるようになった」と言える。
だからこそ、「ジャグリングの価値についての言葉」に絞らず、「ジャグリングの情報」と大風呂敷を広げる必要がある、?
ジャグリングが「好き」
何が重要か WHAT MATTERS?
ジャグリングの何が、どのように「好き」なのか、 だから、 (どのような)ジャグリングを する、見る
何が重要か WHAT MATTERS?
「好き」ということは、自分にとってそれが重要である理由/指針になる。
もう一つの、自分にとって何かが重要になる理由は、個人的・政治的な位置(〈私〉の現在地)であることが多い。
「現在地」…今、現在の自分が「巻き込まれて」いる、 今いる場所、今持っているもの、持って生まれた身体、
「現在地」は多くのことを規定する。 何かしなければならないこと、多くのルール、現状、選択肢の少なさ、
そこから外れる 「迷子」
関係性、距離
猫(猫の像)を部屋のどこに置くか
机の上、玄関前、ベットの上、壁に掛けておく、照明のように吊るしておく、
「猫が好き」ということは、「猫を部屋のどこに(飼う)置くか」を何も指示しない。
「猫が好き」ということを、立体的に“立ち上げる”。(cf.書き起こす)
「猫が好き」というのっぺりした平面の(何も言っていないような)語を、もっと、身体的、立体的、感覚的、行動的、触覚的、に”立ち上げる”と、「猫を部屋のどこに置くのか」という問いになる
「猫が部屋のどこにいるのを「好き」と感じているか」
自分と対象との距離がどのくらいのとき、対象を最も好き・良いと感じるか
対象をどの方向から見ることを最も好き・良いと感じるか
物には側面(another aspect)がある
物は一つの性質から成っているのではない。多面的なもの。
だからこそ一つの操り方に確定しない
〈私〉と対象との関係性の多様性
〈私〉の「好き」ということの多様性
ジャグリングの多様性