「ジャグリングの情報拠点」プロジェクト
「ジャグリングの情報拠点」プロジェクトについて。構想のさらに前の状態を書き残す。
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『ピンクの猫』との関係
「ジャグリングの価値についての言葉」は「ジャグリングの情報」の一部として含まれる。
「ジャグリングの価値についての情報拠点」を最初に立てる見通しが立たない。 人が集まるか? ニーズが見えない。
ジャグリングの情報を求めている人は非常に多くいるはず、彼らが集まるような場にしておくと、雑多な情報がさらに集まり(情報の対価は情報)、「ジャグリングの価値についての言葉」も集まるのではないか。
目的 「ジャグリングの情報拠点」をつくること
ネット上に、できたらscrapboxで。
なぜ情報拠点が必要なのか。
それぞれのジャグリング活動を する/継続的にする/経済的に成功する/ のに情報は必要。ニーズがある
ただし、どのような情報が必要かはそれぞれによって異なる。
そもそも みな、ジャグリングの情報を得るためにどこにアクセスしているのか?
コミュニティ (人が集まれば情報が集まるので。)
全国ジャグリング懇談会
LINEオープンチャット「ジャグリングイベント」
過去の(つまり今在る)
ジャグリング道具ショップ(ナランハ他
日本ジャグリング協会
アマチュア 学生団体 サークル
創作団体 (劇団、ユニット、カンパニー)
社会人コミュニティというものはあるんだろうか。
目的のないコミュニティ
ジャグロリアス
全国ジャグリング懇談会(にしの氏の構想)
Twitter??
メディア
vietuos(ヴィータス)
主に国内のジャグリング情報を収集・整理・発信するキュレーションメディア。ニュースをやっている
PONTE 旅とジャグリングの雑誌
外国のジャグリングの情報?
アトチ (ピントクルの公演 秘密基地シリーズのインタビュー雑誌)
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「ジャグリング」の「情報」って、指示対象が広すぎる
技術としてのジャグリング mani-tech、
ジャグリング的態度、
運動としてのジャグリング、
作品 としてのジャグリング
ジャグリングそのものについて の情報
ジャグリングと〈私〉との関係性について の情報
ジャグリングの価値軸について の情報
これらは分類したものの相互に切り離すことができない、?
ジャグリングと〈私〉との関係性
これがなぜ重要なのか?
〈私〉がジャグリングについて語るとき、それは最も個人的・政治的な位置(〈私〉の現在地)からのジャグリングの記述になってしまう、そのようでしか語れない から
「ジャグリング」とは、モノを”ある仕方で”(「ジャグリング的態度」で)操ること。 ”ある仕方”とは、ルールから外れて
「迷子」 自分の知っている道、通常の/日常の道 から外れること 社会的なルール、慣習、文脈、に乗った操り方→通常の、日常の、物の使い方(物の機能的な、単なる「使用」) ←ここから外れることは、別にしなくてもいいこと
「人生で全くやる必要ないけどなぜか自分でやると決めてしまったこと」
しなくてもいい(個人的・政治的な位置(〈私〉の現在地)のせいで重要なこと ではない)けれども、する、と私が決める
それが「物の操り」についてのことならば、それはジャグリングの話になる
「好き」ということについて
「好き」というか、何が重要か WHAT MATTERS?
「好き」というのは自分にとってそれが重要である理由になる。
もう一つの、自分にとって何かが重要になる理由は、個人的・政治的な位置(〈私〉の現在地)
猫が「好き」
「好き」というのは、非常に曖昧な関係性の表しかたである。何が、どのように、「好き」なのか
「猫が好きだから飼っています」←「「好き」だから「飼う」」は、必ずしも常ではない。
象が「好き」
象が「好き」な人は象を飼うだろうか?
「飼う」というのは、「好き」ということが ”立ち上がった”(ここ英訳したい) ときの一つの関係性のあり方
毎日餌をあげる、いつでも撫でられる、といったことが〈私〉にとって重要だから「飼う」のだ。
象が「好き」 →毎日餌をあげたいのか、いつでも撫でていたいのか、あるいは、遠くから眺めていたい、その大きさを感じるだけでよい、象の上に乗ることが好き、
「好き」という語は、なんら身体的、触覚的、感覚的なことについては述べていない。
「好き」ということが、どういう、私の、身体的、触覚的、感覚的な行為につながるのか、まで考えなければならない。
「~~が好き」な人同士でも、~~との関係性、距離の取り方、に差異があることを気づかせてくれる
「象が好きです」「手乗り象は好きですか?」「手乗り象は好きではありません」→象の「大きさ」(象の「大きい」という性質)が私にとって重要だと解る。
「対象」の分解
「象」というのは様々な性質の束
私は対象の、何が、どのように、好きなのかを考える→私と対象(猫・象)との関係が少し明確になってくる
自分が好きなものについて、より詳しく明確に自分で分かっていることは、重要なことのように思う。→世界がよりクリアに見え、豊かに、楽しみが増える ?
「ジャグリングが好きです」と言うとき、ジャグリングの何が、どのように好きなのかを自分でわかっていることは、自分のジャグリングライフがより豊かに、(はっきりと好みに焦点を絞って、あるいは、また違った側面からジャグリングを発見し楽しめるかも)体験できる。
「象が好き」な人が、象の「大きさ」を「見る」こと(だけ)が好き、なのだと分かり、その上で、象に「乗る」、象を「飼う」ことという楽しみが見つかるかもしれない。
それは「より豊かに世界を見られるようになった」と言える。
だからこそ、「ジャグリングの価値についての言葉」に絞らず、「ジャグリングの情報」と大風呂敷を広げる必要がある、?
ジャグリングが「好き」
何が重要か WHAT MATTERS?
ジャグリングの何が、どのように「好き」なのか、 だから、 (どのような)ジャグリングを する、見る
何が重要か WHAT MATTERS?
「好き」ということは、自分にとってそれが重要である理由/指針になる。
もう一つの、自分にとって何かが重要になる理由は、個人的・政治的な位置(〈私〉の現在地)であることが多い。
「現在地」…今、現在の自分が「巻き込まれて」いる、 今いる場所、今持っているもの、持って生まれた身体、
「現在地」は多くのことを規定する。 何かしなければならないこと、多くのルール、現状、選択肢の少なさ、
そこから外れる 「迷子」
関係性、距離
猫(猫の像)を部屋のどこに置くか
机の上、玄関前、ベットの上、壁に掛けておく、照明のように吊るしておく、
「猫が好き」ということは、「猫を部屋のどこに(飼う)置くか」を何も指示しない。
「猫が好き」ということを、立体的に“立ち上げる”。(cf.書き起こす)
「猫が好き」というのっぺりした平面の(何も言っていないような)語を、もっと、身体的、立体的、感覚的、行動的、触覚的、に”立ち上げる”と、「猫を部屋のどこに置くのか」という問いになる
「猫が部屋のどこにいるのを「好き」と感じているか」
自分と対象との距離がどのくらいのとき、対象を最も好き・良いと感じるか
対象をどの方向から見ることを最も好き・良いと感じるか
物には側面(another aspect)がある
物は一つの性質から成っているのではない。多面的なもの。
だからこそ一つの操り方に確定しない
〈私〉と対象との関係性の多様性
〈私〉の「好き」ということの多様性
ジャグリングの多様性
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メディアについて
なぜ「語り」を僕がやろうと思ったか
今までやってきた文字/テキストとは違う思考方法を試してみなければならない、と思ったから
文字/テキストと 発話 とは思考方法が違ってくるだろう (後述)
「反復」(同じものを何度も形を変えながら「こすっていく」という制作の仕方が、意外と重要なのではないか) (後述)
「ジャグリングの情報拠点」をつくること
ネット上に、できたらscrapboxで。
情報拠点をネット上に置く意味
アクセスしやすいよね
channelは多いほうがいい。
リアルな、物理的な拠点にアクセスできる人達はどんだけいるのか
物理的距離の問題(≒経済的な、時間的な問題)
cf.ナランハが実店舗とネットショップを両方開いている意味
情報(映像、テキスト)はネット上に膨大な量アーカイブできる
⇔物(物質)はネット上においておけない
⇔ジャグリングそのもの(身体運動)はネット上においておけない ネット上(テキスト)には「時間の流れ」がない。
→時間軸の隔絶の問題 が解消される
リアルな、物理的な拠点って、時間によっては閉まる
市役所、労基署のコールセンターにアクセスできない種類の人間(平日昼間がみんな空いていると思うなよ)
歴史のアーカイブの話にもなる。
今上げておくと、20年後に役に立つ、とかがあるかも。
scrapboxという独特のフォーマット
一つのまとまった流れの語り のフォーマットではない。
ハンス=ティース・レーマン『ポストドラマ演劇』 を読まなきゃ
「ドラマ」
一つの統一的な語り
一つの因果の鎖のような
「主人公」がいて、物事が起こり、話の筋が進み(まっすぐ推進し)、展開して、クライマックスがあり、終結する
「ポストドラマ」
複数のひもがくみあわさって、「織り込まれた」テキスト
そこにおいて、意味解釈は困難になる →しばしば「分からない」という感想を生むことになる
一本の(明快な)筋がないから、ということも理由としてある (複数の関係ないひもがねじれているだけ)
複数のことが並行して起こる
鑑賞において、観客自身が、どの要素が重要なのか 何が重要か WHAT MATTERS? を 解釈の中で、拾い集めて、それを語りとして”読む”。
様々な要素から拾い上げて、 鑑賞者が自分で紡ぐ。 鑑賞体験の中で何かが重要になってくる (この「なってくる」という変化を伴うニュアンスは大事)
この、ポストドラマ的な”読み方” と scrapboxという独特のフォーマット はリンクする
テキストの永続性
書かれたテキストは、読み手が自分の時間の流れで読める。
どんなにゆっくりでも、何度でも、読むことができる。途中で止めて、今度途中から読み始めていい。一年後に再度読んでもいい。
語り 「パフォーマンス」的語り(録音されて何度も再生できるようなものでない語り) 語りの時間の流れが終わるとともに、聞き手の時間も終わる
「書き」と「話し」についてはフローについてのnoteでも触れている区分
両者の(それを読む者の)思考方法は違ってくるだろう
なぜいまさら僕が、「書く」ことではなく、「語り」?
「反復」(同じものを何度も形を変えながら「こすっていく」)という制作の仕方が、意外と重要なのではないか
何かテキストを書く、という行為の途中(書いては消して、考え直して、書き直して、という制作過程)は、完成形のテキストには乗ってこない
cf. あいちトリエンナーレの「10分遺言」
ことばが生成される、立ち上がるその瞬間が重要なのか、?
「ドラマ」戯曲を演劇化する 場合、俳優は創作過程・リハーサルにおいて様々な演じ方をするが、作品として提出され、上演されるのは完成形のバージョンのみ。
僕にとって(ジャグリング的に)重要なのは、その、何度も違うやりかたで同じ台詞、シーンをやる、その創作過程の方なのではないか。それが「パフォーマンス」の重要な部分なのではないか
「その、何度も違うやりかたで」ということこそがジャグリング
「多義的である」
「字義通りでない」
「詩」
「ポストドラマ」
ここらへんの概念が接続する話
「語り」
「日常」と「作品」の線引きを考える
朝氏とした「歌詞」についてのやりとり
22分から書き起こす
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うずのツイキャス
「本質」って?へのアンサー
「現代サーカス」という語
全国懇談会 に僕は参加しています
ジャグリング協会
もはや統一的な一つの語り、じゃなくて統一的な一つのまとまり、のように統治することはもうできないし、
する必要もない
私たちは新しいコンパスを必要としている!!
ジャグリングそのものが進化/新化しているのに、その周りのツール(組織、言葉、)がアップデートされていないのはダメ。
情報の場
1.ジャグリングそのものについて の情報
2.ジャグリングと〈私〉との関係性について の情報
3.ジャグリングの価値軸について の情報
『アート関係者同士の出会いってないーーっ!!』 ←本当に??
私たちは「パフォーマンス」(の場)以外にどこで出会うのですか
1.の場
「パフォーマンス」の場
そのものではなく、その映像
Youtube等 コメント欄ある
Twitter等
2.の場
ジャグリングと〈私〉(創作者、演者)との関係性の情報が、〈私〉(鑑賞者)にとって、なぜ重要か??
〈あなた〉とジャグリングとの関係性が、どうして私にも重要な情報なのか??
3.の場
あらゆる人({芸術家、批評家、学者}以外の者)の、たわいもない感想もこの場に乗ってくるべき
なぜなら、そもそもジャグリングの価値についての(芸術家、批評家、学者の)言葉の量が少ないんだから、質を選り好みしているべきでない
なぜなら、質を問わずそれらは確かにあった感想、であるから、それら(感想)を (価値軸の理論によって)解釈しなおすことができなければならない。
「適切な鑑賞」「正しい鑑賞」概念を私は疑っている
cf. 手品
手品と違って、ジャグリングはここをオープンにしても問題ない
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2.の場
ジャグリングと〈私〉(他者、あなた)との関係性の情報が、〈私〉(わたし)にとって、なぜ重要か??
〈あなた〉とジャグリングとの関係性が、どうして〈私〉にも重要な情報なのか??
ジャグリングそのものについて と ジャグリングとの関係性について が密接して切り離せない
ジャグリングとの関係性について、〈あなた〉と〈私〉に共通する何がしかがある(共通の問題/利益を抱えている)ため、〈私〉にとっても有益な情報となる
〈あなた〉=〈私〉の互換性
でも、私たちは違います →ここに意味がある
『1930年代の依存症者や1960年代の身体障害者は、自分を語る十分な言葉を持っておらず、それを生み出す必要がありました。今や、彼らは多くの自分を語る言葉を持っているかもしれませんが、その傍らで、未だそうした言葉を持っていない当事者が置き去りにされています。当事者研究は、言葉のなかった経験に、言葉を生み出す実践です。したがって、その時代その時代で置き去りにされている人々の間で、最も活発に展開していくでしょう。』https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/415457.html ジャグリングライフの指針として、ロールモデルの確立
出会い
他者と出会って初めて、自分の輪郭が解る
迷子になって初めて、自分の現在地、家(重心を置く場所)、がわかる
私たちは普段から無限に(情報と・人と)出会い損ねている
(私が新しい私になるとき、つまり現在地を動くとき、)誰と出会うべきか、どこへ迷子になるべきか、を決めなければならない。
私たちはどのように次の目的地を決めているのか、 「憧れ」→ロールモデル
あるいは、「巻き込まれ」なければならない
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→自分が自分からたどり着けない場所へと、迷子にしてくれる
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