京都を拠点に活動するユニット「したため」主宰。写真家、建築家ユニットとの共同制作やリサーチプロジェクト等も積極的に行い活動の幅を広げている。
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2030年を想像してみる。いま新しいと思っているものはすっかりダサくなっているだろう。いま絵空事と思っている話はしれっと当たり前になっているだろう。テクノロジーは加速していく。わたしたちが日常的に使うデバイスの性能もネットワークの通信速度も桁違いだ。どこにいてもなんだってリアルに体験できる、と豪語する広告。ヴァーチャルな「臨場感」は格段に質を上げていて、たくさんの人がそれに耽っている。
たとえばそんな2030年だったとして、作り手と観客が同じ時間と場所を共有することを条件のひとつに含む舞台芸術は、いったいどのようにとらえられているだろうか。贅沢品のように扱われるのか。懐古趣味に数えられるのか。あるいは事実上絶滅しているか…。
なんだかネガティブになってしまった。
けれど、「いま・ここ」の意味が変容していくであろうこれからの十年、「いま・ここ」を見知らぬ他者とひととき共有することのおもしろさを真剣に考え続けそして実践し続けなければ、2030年の舞台芸術はおそらくずいぶんとわびしい。
ふと、十年前にはあったのに、いまはもうなくなってしまった劇場が思い浮かぶ。いままさに失われかけている劇場もある。場所を守り、つないでいくことなしに、夢を見ることはできない。
そう、2030年はわたしたちと無関係に訪れるわけじゃない。わたしたちが何をやるかが、2030年を決める。そして、わたしたちが何をやってきたかを確かめるためにも、生きて迎えたいです、2030年。
(2021年8月17日)
試著想像2030 年。也許所有你此刻認為新的事物都會完全過氣,現在覺得天馬行空的事情說會變得理所當然。科技發展不停地加速。我們日常所使用的設備和網路的連線速度將出現懸殊的差異。廣告標題寫著,「無論去哪裡都可以獲得真實體驗」的豪語。虛擬的「臨場感」有了飛躍性的突破,讓許多人沈迷其中。
如果真的是這樣的2030年,原本要求創作者與觀眾必須共享同一時間、空間的表演藝術,究竟會被視為怎樣的存在呢?是會被當成奢持品?或者是某種復古懷舊?又或者早就已經滅絕了…
不知為何感到有點消極。
只是,在「此時、此刻」的意義即將邁向改變的未來十年,如果我們不認真的思考該如何與陌生人分享「此時、此刻」的樂趣並實踐,2023的表演藝術恐怕會變得非常沈悶吧。
我突然想起一個十年前存在,現在已經消失的劇場。甚至就在此刻,也有劇場正在消失。如果不去保護這些地方與連繫,甚至連做夢這件事都辦不到。
是的,2023年並非與我們毫無關係地到來,而是在於我們做了什麼,決定了會是怎樣的2023年。然後,為了親眼見證我們到底做了些什麼,我想要活下來去迎接,2030年。
(2021年8月17日)