自然、文化、そして不平等
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『自然、文化、そして不平等』
トマ・ピケティ・著 村井章子・訳
◆目次◆
自然の不平等というものは存在するか? 平等への長い歩み
不平等および不平等を生む体制の歴史的変遷
所得格差
資産格差
ジェンダー格差
ヨーロッパにみられる平等への歩みのちがい
スウェーデンの例
福祉国家の出現ーー教育への公的支出
権利の平等の深化に向けて
累進課税
債務をどうするのか?
自然と不平等
結論
参考文献
引用
決定論は自然や文化的要因を重視し、この社会は永久に平等であるとか、あの社会(たとえばインド)は永久に不平等であるなどと決めつける。だが社会や政治の構造は変化するものだ
だが不平等を生む体制が社会によってどれほど異なるとしても、過去数世紀にわたって基調的な流れはあった。それは、社会的な平等へと向かう底流である
不平等の大幅な解消なくしては、また現在の資本主義システムとはまったく異なる新しい経済システムの出現なくしては、気候変動問題を解決することはできないだろうし、自然と人間の共存も不可能だろう 完全に平等な社会では、定義からして所得上位一〇%は人口の一〇%を占め、その所得が全体に占める比率も一〇%になるはずだ。対照的に完全に不平等な社会では、上位一〇%がすべての所得をさらってしまい、全体に占める比率は一〇〇%になる。もちろん、現実はこの両極端の間のどこかにある
上位一〇%の所得がその国の所得全体に占める比率を五段階に区分して示した。比率が最も低い、すなわち平等に近いのは北欧で、二〇~三〇%だった。最も高いのはアフリカ南部で、この地域には比率が七〇%に達する国もある
男女が完全に平等な社会であれば、女性の労働所得が全体に占める比率は五〇%になるはずだ。いや実際には労働時間を勘案すれば(当然ながらそこには家事労働も含まれる)、女性の労働時間は全体の五〇%をつねに上回る 教育への公的支出の増加は個人の解放、社会の平等化、経済の繁栄を促し、格差を縮小すると同時に生産性と生活水準の向上に寄与した。私たちはこの事実に慣れすぎて忘れがちだが、教育支出のこの変化は、平等に向かう歩みにおいて重要な役割を果たしてきたのである。しかし残念ながら、一九八〇年代~九〇年代より教育への公的支出は伸び悩んでいる。同期間中の高等教育進学率が伸びていることを考えれば、矛盾した動きと言わざるを得ない この脱市場化のプロセスを継続し、より多くの分野に拡大すべき 気候変動が現在より一段と深刻化した場合、一部の国が他国に対して説明責任を果たすよう求め、最終的にはそうした国との取引を直すことになると考えられる