気散じ北斎
https://gyazo.com/4b48187f91a240fc6ed80a707c14850b
「気散じ北斎」車 浮代 、実業之日本社
【内容と感想】
■北斎はお栄,お栄は北斎
富士山を背景とした富嶽三十六景で世界的に有名な葛飾北斎。その絵の一部は、娘のお栄が描いていたということをご存じでしょうか。北斎の二人目の妻の子であるお栄は、北斎が一目を置くほどの画力を持っていました。北斎は「美人画や枕絵では、お栄にはかなわない」とまで言っています。 お栄は20代で北斎の弟子に嫁ぎますが、心身ともに合わず離縁されます。その後は、父子二人でゴミ屋敷のような長屋暮らしをしながら、二人で絵を描いていたのです。お栄の画号である「葛飾応為」で残された絵は十数点しかありません。葛飾北斎が数万の絵を残していることと、常に二人で同じ家に住みながら絵を描いていたことを考えれば、多くの絵にお栄の手が入っていたことは多くの人が認めるところなのです。 「葛飾応為」とは、北斎がお栄に与えた画号である・・死んだ後のお栄のよすがを思うと、わずかでも世の中に、葛飾応為の足跡を残しておかねばと考えた(p116)
■北斎の家はゴミ屋敷
葛飾北斎は日常生活では、絵を描くこと以外のことは気にしなかったようです。掃除をしないから、ゴミ屋敷のようになり、耐えられなくなると引越すということを繰り返していました。食事は出前や、お栄が買ってきたものや,客人の手土産で済ませていました。北斎は寒い時期にはコタツに入ながら絵を描いていたというのですから、奇人変人だったのです。
絵ばかり描いていた北斎の朝の日課は、起きたら厄除の願掛けとして「日新除魔」の獅子舞の絵を描くことでした。北斎の一日一獅子「日新除魔」を検索してみましょう。
この本の中では、お栄は二人目の北斎の妻の連れ子で、北斎と血のつながりはなかったという設定です。金も食事も暖かい家にも関心はなく、ただひたすら絵を描く北斎と、それを支える娘のお栄を見て、著者は北斎の実の子ではないという仮説を立てたのでしょう。
借金なんて後回しにすりゃあいい・・今は画業を極めることが第一ってことが、なんでわかんねぇんだ(p67)
■北斎を楽しむ
美術館に行って葛飾北斎の絵を見るよりも、この本を読みながら「富嶽三十六景」や「八方睨み鳳凰図」を検索して鑑賞してみることをお勧めします。例えば,富嶽三十六景と共に描かれた神奈川沖浪裏には、三隻の船が描かれています。北斎は「風を描く」つまり風景の一瞬一瞬を捉えながら絵を描いていました。神奈川沖浪裏の船も実は一隻の船をコマ送りで描いていたのです。そんな解説がうれしいのです。
お栄(葛飾応為)の出自や北斎死後のお栄の足取りがよくわからないところも、お栄の「吉原格子先之図」や「夜桜美人図」を怪しく輝かせてくれます。
引用
・子どもたちにとって、今はまだ、お絵かきは遊びだ。だがこれを生業にしてしまうと、つまらなくなったり、限界を感じたりして、苦しみ、もがく日が必ずやってくる(p191)
・シーボルトは日本地図を自国に持ち帰ろうとしたのを見つかり、国外追放・・没収された品々の中に、北斎が注文を受けて描いた物を混じっていた(p202)
■著者紹介
車 浮代(くるま うきよ)・・・時代小説家/江戸料理文化研究所代表。江戸風キッチンスタジオを運営。故・新藤兼人監督に師事しシナリオを学ぶ。第18回大伴昌司賞大賞受賞。著書は『蔦重の教え』(双葉文庫)、『落語怪談えんま寄席』(実業之日本社文庫)、『春画入門』(文春新書)、『天涯の海酢屋三代の物語』(潮文庫)、『江戸っ子の食養生』(ワニブックスPLUS新書)など20冊以上。国際浮世絵学会会員。