木の教え
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「木の教え」塩野米松、筑摩書房
目次
1 木を生かす
2 木の知恵
3 木と生きる
要約
適材適所
旅行していると古い町並みや、古民家を見る機会が多いので、手にした一冊です。日本では昔から住居から食器などの日用品まで、生活のすべてで木を利用してきました。 舟をこぐ櫓や農具の柄は硬いカシの木。風呂桶は水に強いカヤ、ヒノキ、ヒバ。お寺の堂や塔は檜(ひのき)。爪楊枝はクロモジ。杭や土台はマツなど、木の性質を生かせる場所に使っていたのです。この本は、著者が木を使った仕事をしてきた人にインタビューした内容をまとめたものとなっています。 そばをこねる「こね鉢」・・硬い広葉樹の木を多く使います。ケヤキ、ミズメザクラ、トチ、サクラ、クリ、ホオなどの木です(p98)
宮大工のノウハウ
木を材料として活用する最高峰は、1300年前に法隆寺を建立した宮大工でしょう。法隆寺つきの宮大工は、そのノウハウを口伝で伝えてきたのです。最後の法隆寺の棟梁となった西岡常一(つねかず)(1908-1995)氏は口伝を「木に学べ」という書籍としてまとめています。 その口伝には、「木を買わず山を買え」、木を一本一本バラバラに買わずに、山の木を丸ごと買いなさいという教えがあります。会社であれば、一人ひとりを引き抜くのではなく、会社ごと買収しなさいということなのでしょう。
また棟梁として材木の適材適所だけでなく、宮大工一人ひとりを適材適所の仕事をしてもらい一つにまとめるのは長の器量であり、一つにまとめられない人は長の座を去れと伝えられているのです。
百工あれば百念あり、これを一つに統ずるは、これ匠長の器量なり。百論一つにまとまる、これ正なり(p218)
工業化社会の持続可能性
日本人が木を使っていた時代には、木造の建物は古くなると、解体して修理していました。現代社会では、人件費のほうが高いので新しい材料を買ってきて新築したほうが安くなっています。
かつては日本の農業では、糞尿やたい肥を使っていました。今は、簡単に生産量を増やせる化学肥料や農薬を使ってていますが、土壌がコンクリートのように硬くなってしまいます。硬くなった土壌は、風や雨で流出しやすくなっています。 本当にこうした工業化した社会が、持続可能なのかと著者は問いかけるのです。短期的な効率のことばかり考えていると、長期的には大切な資源や環境を失ってしまうのではないかという不安があるのです。
木と共に生きてきた日本人の知恵が、経済性の名のもとに破壊されてきたことがわかりました。効率で考えると否定されるかもしれませんが、かつての日本の自然のすべてを活用する生活の知恵が見直される時が来るのではないかと感じました。塩野さん、良い本をありがとうございました。
引用
ケヤキという木は「暴れる」木です・・大きく製材し、寝かせておきながら、暴れ具合を見て、出荷まで少しずつ補正(p35)
日表は日裏に比べて粘りがあって丈夫です・・弓を作るときには、日の当たる日表を弓の外側に(p82)
臼は大きなものですので、心材のある丸太をそのまま使いました。多くは根の張りの部分、「あて」を利用しました(p100)
植林で五百年の歴史を持つ吉野の場合・・1haに8千から1万2千本もの木を植え、最初の十年までに20%を除伐・・15年までにさらに元の15%を間伐・・20年目までに15%、25年を過ぎたらさらに15%、35年を過ぎたら15%、40年を過ぎたら最後の10%を間伐し、商品として出荷できる木は最初の10%(p210)
著者経歴
塩野米松(しおの よねまつ)・・・1947年、秋田県角館生まれ。作家。小説で四度、芥川賞候補に。聞き書きの名手。失われゆく伝統文化・技術の記録に精力的に取り組んでいる