光芒と闇―「東急」の創始者五島慶太怒涛の生涯
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「光芒と闇―「東急」の創始者五島慶太怒涛の生涯」
菊池 久 、経済界
目次
1 父と子(巨星墜つ)
2 彷徨(人生の師;官吏への道)
3 転進(私鉄王への転轍)
4 鉄道人(逆境への中の曙光;"五島体制"確立)
5 強盗慶太(勝者と敗者;地下鉄戦争)
6 戦争の嵐(大東急の出現;命を賭けた入閣)
7 復活(東急の再編;映画会社を再建)
8 乗っ取り(白木屋買収;三越への執念)
9 東急と西武("強盗慶太"と"ピストル堤")
要約と感想レビュー
「なにくそッ」の精神
東急グループ創業者であり、渋谷を起点とする多摩田園都市に広がる経済圏を作りあげた五島慶太の生涯をたどります。青年、五島(小林)慶太の人生は順調なものではありませんでした。長野県に生まれ、家が豊かでないため、小学校の代用教員となっています。その後、上京し東京高等師範学校で校長の嘉納治五郎と出会い、生涯を通じて指針となる「なにくそッ」の精神を学んだという。
東京高等師範学校卒業後は、英語教師となるものの職場への不満から、また上京して東京帝国大学に入学しています。職場に学ぶべき人がいないと愚痴るだけではなく、新天地を目指すところに行動力が感じられます。東京帝国大学卒業後は農商務省に入省。採用手続きが遅れ、鉄道院に移り7年間役人生活を送ることになります。鉄道院でも、「これは偉い人だ」と思った人は一人もなかったという。
・東京高師に入学した小林慶太は、ここで人生の良き師にめぐり合った。同校校長・嘉納治五郎だ・・一番役に立ったのはこの『なあにくそッ』であった(p42)
関東大震災の被害を2ヶ月で復旧
鉄道院で課長心得と出世に遅れていた五島慶太に武蔵電気鉄道への天下りの話がやってきます。武蔵電気鉄道はレールも電車も駅舎もなければ土地の買収の目処も立っていないペーパーカンパニーでした。五島慶太は、そんなボロ会社に借金をして1000株を購入し、人生を賭けて経営トップとして天下ったのです。
武蔵電気鉄道で悪戦苦闘する五島慶太に転機が訪れるのは、2年後です。同じように田園都市を開発しようとしていた目黒蒲田電鉄の経営者として指名されるのです。この目黒蒲田電鉄の目蒲線は、関東大震災の被害を受けますが、五島慶太が陣頭指揮を取り2ヶ月で復旧。1年後に全線開通を迎えることができたのです。
関東大震災では大きな被害を出しますが、安全な郊外に住宅を求める人たちに沿線の不動産が飛ぶように売れ、経営は安定しました。さらに、阪急電鉄の小林を真似して、土地を無償することで沿線に学校を誘致し、乗客増加につなげました。慶應義塾の日吉キャンパスも五島慶太が誘致したのです。
・武蔵電気鉄道・・・初出社と同時に五万円を持参、同電鉄の株一千株を購入、取得し、"株主重役"として、実質的な経営陣のトップに立った(p69)
ボロ会社を乗っ取って再建
五島慶太はボロ会社の株を買い占め、乗っ取って再建することを繰り返しています。どこが強盗慶太なのだろうか?と思いました。株式を購入して経営権を取得するのは、通常の経済活動だからです。また、伊豆、箱根、熱海を含む伊豆観光開発構想を立ち上げた五島慶太は鉄道・バスによる伊豆半島への交通アクセスで西武グループと主導権争いました。大きな方針を掲げ、邪魔が入っても『なあにくそッ』精神で対応しているように見えました。
五島慶太は太平洋戦争敗戦後に、自由貿易が理想的に実行されるならば、日本国民が勤勉に努力しさえすれば、領土など狭くても決して心配はない。今後日本を再建させるのは海運と輸出貿易であり、良い品を安く作って輸出すれば、わが国の経済力は戦前の倍に達することは間違いないと、未来を見通したような発言をしています。五島慶太の生涯とは、大きなビジョンと『なあにくそッ』精神の人生であったと感じました。菊池さん、良い本をありがとうございました。
引用
東京急行電鉄・・23年・・東横百貨店が分離、独立した。つづいて、京王帝都、小田急、京浜急行の三社がそれぞれ・・創立総会を開いて、分離、独立した(p173)
朝六時、慶太からの電話が入る。そこで小佐野はすぐ、五島邸に駆けつけ、朝七時からの慶太の散歩にお伴をするのが日課だ・・この二時間にわたる散歩のとき、慶太は小佐野に向かってかつての乗っ取り商法の秘話、あるいはその日の未明、心に浮かんだ新しい事業の話など、体験談や他人の評価などを伝習した(p198)
https://youtu.be/KaXlUqK5UYA