これでいいのか登山道
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著者 登山道法研究会著
発売日 2021.12.18発売
販売価格 1,100円(本体1,000円+税10%)
山に登るときに誰もが通る登山道。日本全国どこの山にも整えられ、多くの人が利用しているにも関わらず、誰が設置し、管理しているのか、あいまいなまま放置されています。それが日本の登山道の現状です。
その結果、自然災害などによる登山道の崩壊や通行止めが起きても、適切な維持管理がなされず、また、それをきっかけとするトラブルも多数発生しています。
日本の登山道が抱える現状をいくつもの側面から捉え、今後のとるべき方策を検討し、最終的に「登山道法」といったかたちで具体化できないかを、山岳・自然に関するさまざまな分野の有志が集まり考え、提言する一冊です。
■内容
第1章 登山道の現状と課題
登山道の問題・課題-誰が設置し、管理するのか
登山道のそのほかの課題
山を取り巻く諸情勢の変化と今後の登山界
第2章 各地の事例に見る登山道の状況
北海道/東北/関東/中部/近畿/中国・四国/九州
第3章 登山道と遭難対策
登山道を利用している「登山者」の現状は
登山人口の現状について
登山道の整備水準例
遭難対策から見た「いい登山道」とは
第4章 登山道の裁判事例と「登山道」に関わる法令整備
登山道、遊歩道の管理責任を問う裁判事例等
自然公園法と登山道
諸外国における「登山道&自然歩道」関連の法制度
第5章 登山道利用の多様化と課題
登山道の多様な利用を調整する制度の必要性:トレイルランニングをめぐる問題から
[コラム]登山道の実態-事例写真から見える現状と課題
第6章 登山道の歴史と今後の活用
山岳信仰など、近代以前の日本人の登山
廃道の現状と再利用の検討
日本の美しい風景の継承と再生に向けて
登山道の維持管理と環境教育への活用
登山道とボランティア活動
第7章 「登山道法」法制化に向けて
「登山道法」制定の意味、意義、役割
登山道と付帯設備の整備・管理調査項目案
登山道の評価案
日本の美しいの継承と再生に向けて
小澤紀美子 p193-
はじめに
筆者の好きな絵に東山魁夷作の名作『道』(1950年)がある。昨年、秋に「名作の渚」といわれている種差海岸を歩いて、その思いはより一層強まった。東山魁夷は『風景との対話』(新潮選書)という本の中の「ひとすじの道」という章で次のように述べている。 「ひとすじの道が、私の心にあった。夏の早朝の、野の道である。青森県種差海岸の牧場でのスケッチを見ているとき、その道が浮かんできたのである。正面の丘に灯台の見える牧場のスケッチ、その柵や放牧の馬や灯台を取り去って、道だけを描いてみたら・・・と思いついた時から、ひとすじの道の姿が心から離れなくなった。道だけの構図で描けるものだろうかと不安であった。しかし、未知の他の何も描き入れたくなかった。現実の道のある風景ではなく、象徴の世界の道が描きたかった。」
そこで本稿においては、日本の美しい風景を遠くから眺めるのではなく、自ら汗して歩き、自己の皮膚や五感を通してしか「生きている自然」を感知できないのではないかといった視点から、「登山道」の課題に対応すべき視座を、「日本の美しい風景の継承と再生」という観点から考えていきたい。
東山魁夷が「私はこれから歩いていく方向の道を描きたいと思った」と述べ、「遠くの丘の上の空を少し明るくてして、遠くの道が、やや右上がりに画面の外へ消えてゆくようにすると、これから歩もうとする道という感じが強くなってくるのだった」というように、「登山道」関わる「法」策定への道筋は未だ明快ではないが、いくつかの事例を通して継承と再生の方向性を考えていきたい。
日本の風土的特色からの考察
日本はアジアモンスーン地域に位置し、亜寒帯から亜熱帯までの気候区分帯にある。これにより、夏と冬の温度差が大きく、列島の中央に背骨のような山脈があって日本海側と太平洋側での天候に差があるという特色を持ち、多様性に富む国土を生み出しているといえる。具体的には、北は北海道から南の与那国島などの植生をイメージすれば明らかである。変化に富む自然の成り立ちは食文化の多様性を作り出し、住居のカタチも自然との共生を前提に生み出されてきていたといえる。日本の自然と地形的特色、さらには、狭い日本ではあるが四季折々の風景を生み出し、豊かな食文化を育み、子育てや若者へのまなざしは穏やかで、ゆとりの中で文化的多様性を紡いできたはずである。 先にも引用した東山魁夷は『日本の美を求めて』(講談社学術文庫)の中の「心の鏡」で「風景とは何であろうか。私たちが風景を認識するのは、個々の目を通して心に感知することであるから、厳密な意味では、誰にも同じ風景は存在しないとも言える。ただ、人間同士の心は互いに通じ合えるものである以上、私の風景は私たちの風景となり得る。私は画家であり、風景を心に深く感得するのには、どこまでも私自身の風景感を掘り下げるより道はないのである」、さらに「私は人間的な感動が基底になくて、風景を美しいと見ることはあり得ないと信じている。風景は、いわば人間の心の祈りである。私は清澄な風景を描きたいと思っている。汚染され、荒らされた風景が、人間の心の救いであり得るはずがない。風景は心の鏡である。庭はその家に住む人の心を最もよく表すものであり、山林にも田園にもそこに住む人々の心が映し出されている。河も海も同じである。その国の風景はその国民の心を象徴すると言えよう」と述べ、生命の源泉たる「母なる大地」の荒れを嘆いている。 具体的には、「日本の山や海や野の、何という荒れようであろうか。また、競って核爆発の灰を大気の中に振り撒く国々の、何という無謀な所業であろうか。人間はいま病んでいる。白っぽい切り通しの崖の前を行く葬送の列は、少年の日の私の幻想ではなく、現在の人類の偽らぬ姿であるかもしれない」と述べる。日本人の自然と調和して生きる素朴な心を取り戻し、次の世代に「生命の源泉」を継承していくことが求められている。
峠の道を歩くのでもよし、本格的な登山でもよし、ハイキングやトレッキングで道の周りの田畑を眺めながらゆっくり散策するもよし、普段の運動不足を悔やみながら歩くもよし、多くの方々は歩いていても目は近くの風景から遠くの風景までをも受け入れ、さらに耳からも風景の音を聞いており、五感を自然と一体化させて、幸福感を身体全体で受け止めた経験を持っているのではないだろうか。
東山魁夷が『日本の美を求めて』で述べているように、誰もが自分が歩いた道としての感慨を感じ取り、日本人としての誇りを持つ。そうした自然に向ける日本人の眼差しの健全さを取り戻し、日本の風土性に誇りを回復させていくためにも、その処方箋づくりの方策を考えていきたい。
「人が歩くところに『道』ができてきた。『道』は人の往来を誘い、文化や技術を運び」古くから塩の道、絹の道、鯖街道などがあり、物流と結びついていた。さらに「祈りの道」「風の道」など新しい視点からの「道」が日本各地にある。
3・11の時、東北の子どもたちによって、津波がきたところに桜の木を植えるアイディアが出されていたが、過去の、例えば明治や昭和の災害の記憶が石碑に刻まれていても、草木に埋もれていて不明のものが多い、という報道が石碑や草木に埋もれた写真とともになされていた。せっかくの山の道に建立された災害の石碑もそこへ至る道を人が歩かなければ、さらに道のメンテナンスをしっかりと行っていなければ道は消え、石碑は埋もれてしまうのである。
峠の道:健康ウォーキングの場づくり(山形県川西町)
越後米沢街道
山城への道の再生:可児市久々利山城
美しい日本の自然の継承と共創に向けて
登山の楽しみを山男・山女のものだけにしておかず、日本の自然を財産として日本の地域自然資本を継承してゆく取り組みに結びつけていきたい。その第一歩として、置賜農業高校生が行った峠の道の再生や、可児市の久々利城跡へ辿り着く道普請ともいうべき取り組みは、地域の歴史に光を当てて、歴史への新たな足跡醸成にもつながるのではないだろうか。 日本の森林面積は国土面積の約7割に相当し、2500万hαを占めている。しかし17世紀、江戸時代から森林の乱開発により山が荒れ、雨のたびに土砂を下流に押し流し、土砂災害が頻繁に起こり、土砂が川に堆積し川が浅くなる。そこで「山川は国の本なり」(熊沢蕃山著『大学或問』)というように、山川の維持管理が計画的に進められてきたのである。 草木の根を掘ることを禁じる
河川の上流の木のない山には苗木を植えて土砂の流出を防ぐ
川原に田畑を作り川を圧迫しない
などの対策が講じられてきていたのである。こうした人と自然との関係やつながりへの認識が現在の日本各地に残されている。このことを、梅原猛は『森の思想が人類を救う』(小学館ライブラリー)で、山川は国の本なり、山が荒れ、川浅くなることが国の荒廃につながる。そして自然回復力に依存するなと述べている。すなわち「山川草木悉有仏性」とは、山川草木は地球の自然で仏性:仏の心の本源が心理であると説く。自然界の全てには仏性(真理)があり、自然界の全ての存在は仏性そのものと説き、見えるもの・見えないもの全てのものに生かされているという。まさに司馬遼太郎が『21世紀に生きる君たちへ』で述べていることにつながるのである。「・・・20世紀という現代は、ある意味では、自然への畏れが薄くなった時代と言っていい。同時に、人間は決して愚かではない。思い上がるということとはおよそ逆のことも、あわせて考えた。つまり私ども人間は自然の一部に過ぎない、という素直な考えである。『人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。』この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおを君たちが持ち、その気分を広めてほしいのである」と司馬遼太郎は述べている。 一方、地球温暖化の影響による異常気象により、日本をはじめ、世界各地で自然災害が増えてきている。次に紹介する農業高校の高校生の取り組みは今後の日本での道普請の可能性やヒントを与えてくれると思われる。第5回全国ユース環境活動発表大会で地方の予選から選ばれてきた事例である。審査員として発表を伺っていたことと、高等学校のホームページを参照させていただいてまとめている。 したがって次項で紹介する道普請という日本の地域に根付いている仕組みを取り入れながら、日本の子供や大人に蔓延している「自然欠乏症候群」を克服し、森と人間の関係から学ぶべきこと、さらに災害の復旧・復興における知の継承は「日本人の自然と調和して生きる『素朴な心』を取り戻し、次の世代に『生命の源泉』を継承していくこと」になろう。加えて里山への散策や峠の道を再生・競争によって国民の健康づくりへつなぎ、生き物との共生のことや、日本の地理的・風土的特徴を学ぶ場を広げていく発想の導入により、日本の美しい風景を継承し、歴史をつなぐ道づくりへ、ゆっくりとラディカルに進めていきたい。