「雑」の思想
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高橋 源一郎 (著), 辻 信一 (著) 2018 引用
江戸時代の村では「寄り合い」がものすごく大事だったんですよ。「寄り合い」って直接民主主義なんです。全員が参加しないと始まりませんからね。ただし、いまと少し違うのは「全員」という意味が一家につき一人だということです。寄り合いで決まったことは、「名主(あるいは庄屋)」「組頭」「百姓代」の三人に伝えるのです。村長という存在は江戸時代にはありませんでした。町長も知事もいない。つまり長とつく人、一人のリーダーという形はないんです。必ず三人。それはつまり、チェック機能が働くということです。・・・三人で話し合って、寄り合いの意見を吸い上げながら、こうしようと決めたことを藩役人とか幕府に伝える。・・・寄り合いの意見を反映させなかったら一揆が起きますから大変です。江戸時代に一揆は頻繁に起きていて、とても健全なことなんですよ。・・・江戸のような都会ではどうだったかというと、全く同じなんです。(p66)
住民→長屋の家主→町名主→町年寄→(奉行:聞かれたら答える)
では、グローバル化の時代とはどういう時代だったのか。「グローバル」って本来はとてもいい意味の言葉ですよね。地球的ということだから。・・・現実のグローバル化とは、全世界がひとつの市場になるという意味で、国境を超えた大企業がその世界市場を支配しようとしています。そのために邪魔になる障壁をつぎつぎ取り払って、自由に世界中で企業活動をおこない、その利益を最大化していく。かつては社会のほんの一部にすぎなかった市場経済が、いまでは社会を飲み込んでしまうようになってしまった。その過程でコミュニティを壊し、地域経済を壊し、自然生態系をズタズタにしていきました。それがグローバル化の時代だったわけです。(p170)
熊楠が一番危惧したのは、自然が失われることだけではなくて、小共同体が崩壊して資本主義化されてしまうことでした。・・・生態系が失われることと、社会が崩れていくことが、別々のことではなくて、ひとつのことである。(p182)
「雑」の権化、南方熊楠 p126-
慶応3年生まれの博物学者。博物学=森羅万象が相手
ものすごく記憶力が良かった。
東京帝国大学予備問に進学するが、大学の授業がつまらなくて中退。その後アメリカを転々とし、最後はロンドンへ。毎週大英博物館に通って研究。ネイチャーに50本(日本人最多)の論文投稿。四カ国語話せた。
日本に戻ると和歌山県の田辺に籠もって研究。粘菌の研究。世界に出ずに自分の故郷・和歌山に地盤を置いてぶれなかった。
40代になると、神社の合祀と森林伐採の反対運動の先頭にたった。
神社合祀によって文化的影響だけでなく、森林が伐採され開発によって生態系バランスが崩れる。
世界的なグローバルな視野を持ちながら、ローカルに軸を据えてぶれない。
人間を人間たらしめるものは何なのか。日本人はどういう暮らしを営んできたのか。
南方熊楠と宮澤賢治。ローカルに軸を起きながら、世界・宇宙が見えていた二人の偉人。地方分散型の暮らしを考える上で彼らの思想や生き方を知ることは大切だと感じた。
自然の生態系は多様性がある。村社会の多様性。顔の見える関係性。自治の機能が肥大化していくと自然と伝言係が増え余計な仕事が増える。小さく暮らして程々に豊だった時代を見直すべきかもしれない。
資本主義化、合理化、効率化は自然の生態系を取り戻すためには誤った仕組みなのかもしれない。
ダイバーシティ=雑。
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