「愛」という名のやさしい暴力
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斎藤 学、扶桑社
目次
第1章 「愛」「期待」という名のやさしい暴力
第2章 「母」という呪い
第3章 機能不全の家族
第4章 人の役に立たなくていい
第5章 安心して無気力でいましょう
第6章 「ダメな自分」にもパワーがある
第7章 悩みを言葉にできれば解決に向かう
要約
著者は精神科医として、父親が母親に暴力を振るう家庭や、アルコール依存症、摂食障害の人を観察してきました。この本では、そうした問題を抱える人たちの共通点を教えてくれる一冊となっています。まず、タイトルの「やさしい暴力」とは、子どもに対し「愛している」という理由で、干渉し、拘束し、期待し、要求する親が一つの典型的な例でしょう。 日本には「共依存」といって、他者の願望・期待を読み取り、それに合致するよう生きようと常に努力し続ける人がいます。子どもは親の期待を読み取り、自分の気持ちを消し去り、親の期待を裏切らないよう行動するのです。そうした自己否定や矛盾は、子どもの声として発せられることはなく、摂食障害や非行といった行動に現れることがあるという。 著者の経験では、子どもに対し、お父さんが「そんなに苦しんでいたのか」とか、お母さんが「今のままでいいのよ」と言ってあげるだけで、問題が解消してしまうことがあるそうです。
・人間にとって生きていくうえでいちばん重要なことは、「自分は母親や父親に十分必要とされている」という確信が持てることです(p113)
人間は本能の壊れた動物である
また、日本では期待される家族像を維持しようとするあまり、自分の感情がわからなくなっている人が多いという。例えば、拒食症は「理想家族」と呼ばれるような親が良い会社で働いていたり、家柄の良いソツのない家庭の子どもに多いというのです。 また、父親から日常的に暴力を受けている母親が、その暴力に耐えているケースも、自分の中の理想の家族のかたちを演じて、自分自身の心を消滅させ、感情をなくしているという見方もできるのです。著者が、人間は「本能の壊れた動物である」と言うように、人は精神的な思い込みにより、自らの生命を絶つこともあるわけで、人とは精神的な動物と言えるのでしょう。
・摂食障害・・口では言えない、親の前では示せなかった"もう一人の自分"をさらけ出す、いいきっかけ(p32)
自分の欲求がわからなくなる
著者は、「共依存」は会社員でも同じように見られるとしています。日本のサラリーマンは、上司に従順で、同僚の配慮し、社内競争の中で脱落を恐れ、いつも不安を持った、自己主張の少ない人たちで構成されているという。そういう会社生活の中で自分の欲求がわからなくなっている会社員が、アルコールの力を借りてグチを言っているのが、その現れなのでしょう。
著者のアドバイスは、悩みや憂うつは悪いことではないとしています。悩むことで、答えが見つかることもあるのです。答えが見つからないのなら、自分の話を聞いてくれる人を探すとよいという。悩みを言葉にできれば解決に向かうことが多いというのです。そういう意味では、聞いてくれる人がいるとすればグチを吐き出すのも悪いことではないのでしょう。
グチを聞かされる精神科医の先生も大変なんだと思いました。斎藤さん、良い本をありがとうございました。
引用
・"人間の欲求"の基本と言えば、食欲や性欲よりまず「安全の感覚」です(p34)
・アルコール依存症という診断で入院している男性患者の2人に1人、その妻の4人に1人がアルコール依存症の父親を持っている(p119)
・「力がある」ということは自分が生きたいように生きるという選択肢を持つということです(p177)