思考ログの目的性について
(Summary)
思考ログに直接的な目的はないですが、原動力となる自分の気持ちや興味関心があるので、これからも続けていきましょう。
memo
この思考ログに目的はあるのでしょうか、と考えました。
例えばニコラス・ルーマンや梅棹忠夫は自身が学者で、自分の学術分野の整理と深耕が目的かつ出発点であり、そのための手法として知的生産の技術を発展させました。
では、学者でも研究者でもない僕は何を目的に思考ログをしているのでしょうか、という疑問です。
そこで想起したのが立花隆でした。立花自身はフリーのジャーナリストで特定の専門分野をもっていません。それでも立花氏は知の巨人と言われるとおり、田中角栄から医学、宇宙まで広範囲に学習していました。
立花氏は著作のなかで学習の原動力として、自分が知りたいと思う根源的な強い欲求だと述べていたのが印象的でした。
それを踏まえるとこの思考ログひいてはPKMは、自分が考えたこと、興味をもったことを記録して、それについてさらに考えを広め深めたいという欲求があると改めて気づきました。もちろん立花氏とは比べようもないですが、基本的なベクトルの方向は同じだと思います。
したがって思考ログに直接的な目的はないですが、原動力となる自分の気持ちや興味関心があるので、これからも続けていきましょう。