「全然走れなかった」には行為の結果として新しい情報が存在しています
きょうもスロージョギングができました。
継続する練習タイプの物事をしていてつくづく思いますが、全然走れなかったことと、走らなかったことには大きな隔たりがあるということです。
前に記録でも同じようなことを思って書いていました。
改めて「全然走れなかったこと」と「走らなかったこと」を比較すると、実質的にからだへの影響はどちらもほとんどないでしょう。
それでも「全然走れなかった」には行為の結果として新しい情報が存在しています。
これは結果としてみれば走る前に期待した良い結果ではないかもしれないですが、情報として考えれば新しい素材を手に入れたことになります。
「全然走れなかった」ことを振り返ると、どうして思うように走れなかったのか、つぎはどんな点を改善できるのか考える余地が生まれます。
こんなことは書いてみれば当たり前のことなのですが、走る気がおきないときには、こうした前向きな結果を想定してポジティブに行動することが難しくなります。
そのためきょうのノートして、改めてきちんと文章で書いておくことで、走る気がおきないときにこのノートが背中を押してくれたらいいなと思っています。