2025/4/3
もちろん、ここでは「幸福な状態とは何か」を定義しないと話は始まらないが、一般的に私たちが日常用語としてそれをどのように使っているのかを分析の基盤としてもよいような気がする
素朴哲学、とでも名づけようか。
まさにご指摘のとおりで、幸福という概念が定義できていない以上、幸福な状態もあいまいだったと思う。
したがって昨日に記載した「幸福な状態」をそこに至るまでのプロセスにあるとしたことも、正確には幸福の一場面であると捉えるべき。
改めて、『幸福な状態を目指して、そこに至るまでのプロセスも幸福である』としたら幸福な状態はどの状況を指しているのか。とても矛盾しているような気もするけど、『』の一言は間違ってもいないような気がする。
幸福及び幸福な状態の定義は、いまの僕にはできない。ただ日常的に自分が幸福と感じるときはある。それはつまり、幸福(幸せ)は広義で抽象的な概念のことばであるため、嬉しいときも楽しいときもそれこそ興奮しているときも、都合の良く幸福の概念の範疇に収まっているからだと思う。
扱い方としてはフツーとかヤバいとかと同類になりそう。
幸福に該当する状況や状態は数多くあるけれど、幸福となる場面や用語、状態の集合体として幸福の全体像を捉えることはできていない。
幸福の有する範囲は広く境界があいまいだからこそ、日常用語として利便性が高まるが、全体を表す定義や他の用語との区別が難しくなるのかもしれない。
素朴哲学は名前のわりに議論の前提となる定義ですらけっこう難しそうで、そこがおもしろそう。
要チェックや!の捉え方はぜひとも取り入れていきたい。
あえて明確なジャンルを括らないからこそ、その時の自分の嗜好が見えてきそうです。
あと東さんの動画は後で視聴してみたい。おもしろそう。
ごりゅごさんのおとなの趣味の始め方を読みながら、ふと振り返って、むかし社会人になって仕事以外の時間がひまで持て余しがちだったので、久しぶりに本でも読むかとおすすめ本とかを探したときに偶然、見つけたのがブックカタリストでした。
それがいまや生活ロギングやobsidianのデジタルノートまで影響を受けて開拓がすすみ、余暇で本を読む時間すら確保するのが大変なくらい、やりたいことが積み上がってきている。
ふらっとPod cast(たしか最初に聞いたのは高野秀行さんの『語学の天才まで1億光年』だった)を聴いたことで、仕事も生活もずいぶん変わってきているなと思った次第です。
まさか自分が幸福の概念を考えておもしろがっているときがくるとは思いもしなかった。
そういえば他の方が最初に聴いたブックカタリストって何なんだろう。ちなみに思い返すと自分はブックカタリストを聴くまでは小説や、いわゆる日本人の自己啓発本やビジネス書が読書の中心だった。新書や人文書の新刊を気に留める様になるとは、その当時は思いもしなかった。
このあたりの回顧は自分なりにおもしろそうなので、また後日も続けて考えみる