2025/4/24
#生活ロギング 2025/4/25 - 2025/4/23
/rashitamemo/2025/4/24
「よしシステム2を起動させるぞ」という意気込みは効果があるか
そもそもシステム2が必要なときに、システム2を起動させる認知リソースや冷静さは失われていることが多いです。
システム1で走っているからシステム2を起動させようとはならなくて、むしろシステム2が機能してないからシステム1で走り続けてしまっている感覚があります。
やはりシステム2を起動させるには、ログやタスクリスト、他者などの外部装置に頼るしかないです。なので日頃からいざというときに、外部装置がきちんと機能するようにこつこつ作動させるのが大切だと思います。ただこの習慣化もなかなかむずかしい。
仕事の権利と義務
仕事について権利と義務を考えてみました。
仕事の義務は仕事をした結果だと思います。ほとんどの仕事は、タスクやプロジェクトによる結果、つまり生産物を提供することで対価を得て仕事が成立します。そのため義務=結果となります。
では仕事の権利は何か。思うに、仕事の権利は仕事を進めるうえでのプロセスだと思いました。野球選手がバッターボックスに立てるように、料理人が新しい料理を考案して提供できるように、仕事の結果が出るまでのプロセスはその仕事をする人にしか携わることができない権利だと思います。したがって権利=プロセスだと考えました。
以上の観点をふまえると、仕事の対価は、結果に対する報酬と考えがちでしたが、加えて仕事の対価は仕事の結果を出すまでのプロセスに携わる権利だと考えられます。
さらにいえば、この仕事のプロセスを権利と捉えるか、義務と捉えるかで、仕事に対する苦楽は変わってきそうです。
プロセスを権利だと捉えられると主体的に仕事に取り組めますし、反対にプロセスを結果を出すための義務ととらえると仕事は苦役に感じられると思います。
実際の仕事は仕事を進めるうえで、その両面が混在しますが、プロセスを義務と捉えたり仕事の対価を報酬とだけとらえるのではなくて、仕事のプロセスそれ自体に価値を見出すことも大事だと思いました。
ジェンガのプロセス理論
ブロックのジェンガは、ひとつずつ抜いて上に積み重ねていきますが、最後にかならず崩壊して失敗します。
このときに最後の崩壊した失敗は鮮明に記憶されるけれども、崩れるまでの途中に積み重ねたブロックにみるプロセス過程の分析は忘れ去れられている気がしました。
仕事でも最後に失敗したりミスが発覚したりすることがあります。例えば用意したプレゼンが最終的に上手くいかなかったとか、手続き手順がすべて完了したあとにミスが発覚したとか。。。etc
そうしたときに失敗した箇所だけフォーカスしがちです。失敗したところのタスクだけを考えてリカバリー策を立てようとします。
この点、失敗に至るまでには、積み重ねたブロックのように各プロセスがあります。
その積み重ねたブロックは各プロセスにおける小さな成功です。しかしその数々の成功体験も最後に失敗すると忘れてしまいます。ちょうどジェンガで最後のブロックで崩壊した後のように。
でもこの失敗までのプロセスに成功があったことをきちんと振り返ることで、スモールステップ法にみるように、たとえ結果が失敗でも成功体験としての自信や自己肯定感に繋げられると思いました。
また実は失敗した原因のひとつが成功だと捉えていたプロセスのなかにあるかもしれません。ジェンガは倒れなかったけれどブロックの置き方が不安定だったことも考えられます。
この点から見ても、失敗した直接の原因だけでなくて、そこへ至るまでの成功していたプロセスを振り返る価値があると思います。
失敗を防ぐ方法は失敗したプロセスを修正するだけでなくて、それ以前の適切なプロセスをさらに改良することで防げることもあります。
そしてこれらを実践するためには、やはり各プロセス過程において適切なログをつけることが必要です。
やはり全てはログから始まりまるのだなと思いました。。