2025/4/11
まえに打ち合わせCastで聴いた、執筆に詰まったときにである調をですます調に変えてみる、ということを思い出したので今日は試しにていねい語で書いてみようと思います。
たとえば、マインクラフトというゲームがあるとして、それを教科書に書いてある通りにプレイして、それ以外のことをやったら怒られる、という状況でプレイしたら楽しいだろうかを考えると、行為の中身そのものよりも「形式」が重要だということがわかる。
勉強に対する形式の重要性は、言われてみればそのとおりの指摘だと思います。
おそらく学校や塾は形式と統一しないと授業が進まないので、勉強に対する形式は暗黙的に俎上にあげられなかったものだと推察しました。
一度、勉強内容と勉強方法と勉強形式を整理してみたいと思います。
勉強内容は勉強する学習内容なので、数学で言えば三角比や確立、微分・積分などのコンテンツになります。
勉強方法は、問題集を使って解いたり、塾で授業を受けたり、テストをして検証することになるでしょう。
では勉強形式は何か、勉強方法とはどう違うのか。
形式的、という言葉があるように、例えば気乗りしないけど塾に行かされているとか、眠いのを単に我慢して学校で授業を受けているとかは、形式的に勉強をしているけれど、実質的に身についてないと思います。
その観点や先の文脈を踏まえると、勉強の形式とは、勉強に対する主体性や観念なのかもしれません。
勉強に対してどのような観念を持つのか、あるいはどうやって観念を変えるのか、今後、考えてみたいと思います。
ここで買ってしまうと、自分の経験則上、国立大学教授のほうが積読本になるか、科挙を挫折するかの可能性が高いです。別に最後まで読み通すことが正義だとも思いませんが、できれば最後まで読んでから評価したり考えたりしたいという読書の姿勢を持っています。
あるいは科挙を読み終えたときには、国立大学教授よりも、もっとおもしろい本もあるかもしれないです。読み終えた開放感とともに次の本を探すときのワクワク感も楽しみです。
ていねい語で書いてみると、自分で自分に語りかけているような対話感が強く感じました。である調だと独白の感じがします。そして個人的にはていねい語で書くほうが、落ち着いていい文章に思えたので、今後取り入れてみたいと思います。
そういえばロギング仕事術でも敬語で書いてみることを推奨していたと思い出しました。
(生活ログを転記します)
就寝 23:00
起床 6:00
娘は相変わらず5:30に起床されました。何とか僕は6:00まで粘りましたが、その甲斐むなしく6時に起床となりました。三文払うのでゆっくり朝寝がしてみたいです。
朝食
ピーナッツバタートースト、卵焼き、ホットミルク、明治ブルガリアヨーグルトいちご味。
安定の同じメニューです。毎日食べてもおいしく食べられます。いま明治ブルガリアヨーグルトいちご味を「め」で変換できるように辞書登録しました。たぶんこの単語を辞書登録したのは人類史上初だと思います。
昼食
昼食を詳しく書いてみようと思います。
昼食は食べログ100名店のカレー屋に行きました。いわゆるインドカレーですが、それがインドなのか、ネパールなのか他の国のカレーなのかわからないです。そもそもインドカレーの括りもざっくりすぎる気がします。
カレーはシーフードカレーと鶏肉のトマト風味のカレーの2種類を、ナンとごはんで食べました。つけあわせに玉ねぎの酢漬けと、サラダ、チキンをカレー風味で焼いたものがあります。
カレーを食べながら気づいたのですが、特にインドカレーの味の描写が自分のなかでうまくできないです。トマトの酸味と程よい辛さ、シーフードのエビや貝のおいしさはわかります。でも肝心のカレーの味がおいしいと辛い以上に、スパイスの味を表現できないことに気づきました。
インドカレーに対する解像度の低さは発見でした。これはいわゆるマインドフルネス的な気づきで、記録を描写する副産物として日常の解像度が少しずつあがり、毎日の何気ない発見が増えて楽しめる気がします。
もっと客観的な文章になる予定でしたが、実際の着地は気づきの感想文になりました。この投稿も、Obisidianやアトミックシンキングの手前として、観察や考えることと書くことの、奥深さやおもしろさを感じる機会になっています。
夕食
かんたんな水菜と豚肉のしゃぶしゃぶ、トマトのサラダ、ニラたま、ピーマンと豚肉と玉ねぎの炒め物でした。野菜多めのメニューなので、健康的な気分になります。そういえば30歳を過ぎたあたりから、野菜のおいしさがわかってきた気がします。