人間一方通行
人間一方通行
コカインと間違えて唐辛子スプレーを吸引してしまってなんらかのショック状態に陥ってしまうおじさんを制止しないといけない部屋で過ごすハメになる夢をみて(だはーっ!! なんだ夢か....で起きた、そしてなぜか鮮明におぼえている)、そういえば別にオレは経験として体験しなかったとしても、フィクションとして体験を享受することができるじゃあないか、と何かが腑に落ちた 一体何の情報を整理していてそういう夢をみたのか知らないが、MCU の世界では夢は別バース世界の自分の出来事なので他バースのオレが頑張っているのかもしれない ややネタバレになってしまうけど、傭兵として文字が読めないで育ったオグジーが天文の研究をする貴族の下で働いているヨレンタに「文字が読めるってのは、どういう感じなんですかい」と聞くのに「すごいですよ、時も場所も超える力があるんです、文字には」って返すのに泣いてしまった
中世の識字率を考えると、今自分が当たり前のように興じているエンターテイメントのそのほとんどに触れることなく生涯を終えさせられた人がどんだけいただろうか、と
現代と中世とを比較した時に、もちろんそこには厳然たる溝が存在するわけだが、こと現代人同士を比較したとしてもフィクションに耽溺している自分のような人間もいれば、全くそういうことに興味がない人間もいるはずで、全くそういうことに興味がない人間からしてみたら経験や体験のウェイトが相当重いはずだ
自分は本でも漫画でも、映画でもドラマでも、ゲームでも、現実世界を超えていろんな世界でいろんな体験をしている(と錯覚している)わけなので、自らの肉体で経験すること、体験することのウェイトは相対的に下がるのではないだろうか もちろん、はじめてスキューバで潜った時だったり、それからそこそこ潜れるようになって、30mぐらいの深さのところから、さらに深くへ続く断崖を臨んだ時の感嘆なんかは、もちろんそれなりに大きいわけだが、フィクションの中でなら宇宙船の修理をしてたらテザーが切れて深宇宙へ飛ばされていく体験もできるわけで もしかしたらこれからの技術発展によっては、Cyberpunk 2077 の BD みたいに脳に直接刺激を送ってさも体験しているかのような錯覚を得られるような日がくるのかもしれない 世界とは、自分のアティチュードによって見え方が変わる....というかなんというか
友達カフェに行ったって話を問わず語りでしている回で、伯山センセの妻が「それキャバクラだよ」って指摘してたのが結構面白くて、自分はそういういわゆる夜の店に全く行ったことはないのだが、体験や経験のウェイトが重い人からしてみたら対価を支払うだけの価値があるんだろう、と考えると納得できる感じがする ....ただ、なんかこれって思春期の頃に「は?2次元ならいつだってモテモテだし!!」と言い張っていたオタクのマインドを未だに引きずっているだけなのかもしれないとおもうとやや小っ恥ずかしい気もする
体験、経験重視の人間の人生は人間交差点な感じがするけど、それじゃあまるで自分は人間一方通行じゃあないか、ハハン、とおもってこのタイトルにした