フィクション、身体性、共感
人間は身体性を伴った体験を通じて共感できるようになるのではないか
自分の想像の埒外にあるものに対して共感すべき、となったとしても想像すらできないと共感もしようがなさそう
エウロパの氷の下になんか生物がいたとして、そいつが何考えてるかなど分かりそうもない、みたいな 身体性を伴った体験はテクノロジーが何もなければ、全てを自分で経験していって積み上げていくしかないが、幸いにもテクノロジーの山に立ってるのでフィクションを体験するということができる
映画、ゲーム、本、VR、いろんなメディアがあるけど根本的には疑似的に体験を共有できるところに価値があるというか 高校とかの世界史でどう教えてるのかは知らないけど「コンスタンティノープルが陥落したのは1453年です」って情報だけくるよりも、メフメト2世や彼を支えたパシャ、ウルバンのことや、落とされた側のパレオロゴスが実際にどう考えてたかは知る由もないけど、いろんなフィクションでその物語を体験してボスポラス海峡を望むと、どちらにも想いを馳せることができる フィクションでなら女性がどんな扱いを受けてきたか体感することができるし、マイノリティのそれも同じく
そうやって身体性を伴った体験があると共感できるようになり、共感があると手を差し伸べることができるようになるんじゃなかろうか