自由には力が必要
自由には力が必要
実のところそこまでちゃんと理解していなかった新自由主義とはニュアンスが違うっぽい ウクライナでドンパチはじまってから、何度となく理念を重んじるか、現実を重んじるかという戦いが続いてるんだなあということを書いてきたが、アメリカ国内ではこれはもう「理念など知ったことか」という合意形成が済んだということなのであろう 戦時中の一国のリーダーを前に、あまりにも大人気なく口論する大統領と、その腰巾着が「失礼だろ!!」と横槍をいれる一連の報道をみて、こりゃ本当にもうダメなのかもなあとわからせられた
ドゥーギンが「思想的な追い風がアメリカから吹いてきたぜェ〜」と言っていたそうで、なるほどドゥーギンがこの反応ってコトは.....みたいなね 先日、サンダースがキレ続ける動画をみたけど、日々 Sad Moment が積み重なりすぎてアタマの血管が心配である 正直まあ、一介の交渉人としてゼレンスキーがあんな風に(しかもメディアの前で)理念を曲げずに突っ張るってのは悪手じゃね....? とおもわんでもないが、まあ.....自国が侵略されているわけですからなあ..... これも何度となく書いてきたような気がするが、結局自由とか、個人の思想や信条を通そうとするためにはそれを阻む者を黙らせるだけの力が必要なんだよなァって改めておもう
石破がかねてよりアジア版NATOという題目を唱えてたのが、宰相になってからは鳴りを潜めているわけだが、加盟国がどこを想定しているのかわからんものの、例えば韓国を引き入れるなら北朝鮮が38度線を超えてきたら自衛隊が出動するんですネ!って話だし、フィリピンを引き入れるなら海警局との偶発的な小競り合いから本格的なドンパチがはじまったら自衛隊が出動するんですネ!って話だし、果たして我々国民の何割がその CB で宣戦布告にノれるのかはかなり懐疑的である 結局のところ、多少経済力があったとしても軍事的にはアメリカ様の腰巾着に過ぎず、そんな小国がいくら論を捏ねたところで「な〜に言ってんねん(笑)」となるだけなんだよなァ....と
戦後80年、それなりにうまくいったワイマール共和国としてやってきたとおもうが、ここへきてアメリカ様の変様ぶりをみて、やはり我々の括弧付きの "自由" を守るためには例えば核武装も含めて、改めて国防体制を考える転換点にきているのでは?という感じはする これからブロック経済化していくことを想定すると、地理的には中華帝国ブロックの朝貢国をやるのがコスパ良さそうに見えますが..... ていうか、アジア版NATOってもしかして大東亜共栄圏の言い換えだったりするんですかね? 何気に、盟主が違うだけで中華皇帝であるところの習様がやろうとしてることって大東亜共栄圏の焼き直しに見えなくもない
しかし、そうして対米自立的なことをみようとするとすぐに大日本帝国の残党たちがノコノコ出てきちゃうのが困ったとこだよなあ〜と バンスに謎にディスられていた欧州だが、ドイツの総選挙では AfD が政権を奪取するという最悪のシナリオは免れたものの、結局 CDU に戻るというチョイスが吉と出るか凶と出るか 理念の EU と置いた時に、じゃあそこから足を洗ったイギリスというのは2024年のアメリカ国民と同様に現実を重んじるという判断を下したということなんだろうか? 目下、EU に残留しているフランスやオランダなんかの極右は反EUだったようにおもうけど、最近あんまりそういうことを言ってないような気がする フランスなんかはかつての振る舞いを考えると EU からも NATO からも抜けてもおかしくはないが、さすがにそこまではいかないもんなんだろうか なんのかんの言っても EU も安全の担保はアメリカ様に依拠してるわけで、我々よりは発言力はあるのかもしれないが(一応核武装はしてるわけだし)、それにしてもアメリカ抜きでは立つ瀬がないのは似たりよったりには見える
こりゃあマズいという意識が我々のソレよりもより大きかっただろうことは想像に難くないが、せっかく加盟したとおもったら盟主があのザマだからなあ.....
マイダン革命でヤヌコビッチを追い出したわけだが、紛争が起きてちょい後ぐらいかな?アゾフ大隊なんかがフィーチャーされていたことがあったけど、ロシアのナラティブとしてはああいう極右こそがマイダン革命を仕掛けてきたわけで、その極右に西欧諸国はのっかったわけですよね?って言われると、ハァまあ、そういう見方もできますわなあと クリミアが編入された時に、住民投票の正当性はどうやねんという話は散々あったけど、東部地域なことを考慮すると、実は妥当な結果でしたってこともあるんですかねェ.... 直近でもシリアで政変があって、これもテロ組織認定されていた HTS がアサドを追い出したわけだが、HTS の思想の如何はともかく、己の自由のために戦うという一点においては本当にスゲーなと 今はまだ AI ってやつはポンコツに見えるけど、あっという間に人智を超えた存在になるんじゃないかという予感は少しだけある そういうテクノロジーの時代を生きる人間として、果たして己の自由意志と信じているモノは何なんだろうか?というちょっとしたアイデンティティクライシスのようなものを少し感じる
SF の読みすぎだろって話かもしれんけど、本当にシビュラみたいな統治システムが出てくるルートがあるんじゃないかみたいな 今って、子供を育てるのに3000万かかるとか言われてるらしいけど、例えばシビュラにそれなりに幼いうちにゲノムでもなんでも解析させて、これがこの個体の脳にとって最適なルートですってレールが敷かれたら、バカ高いカネを払って塾に通ったり、受験戦争とかいう不毛な争いをせずに済み、幸福に暮らすことができました....めでたしめでたし.....ってのは、ディストピアとユートピアのかなり境界にみえる しかし、意思決定をするという、人間にとって非常にコストの重いタスクをデリゲートできたら、実はそれはとても幸せなことなのかなって脳の片隅ではどうしてもおもってしまう
しかし、その代償として "自由" なるものを差し出すハメになるわけだが、その真なる自由を享受するには親ガチャSSSSSRRRRRRR のマスクの子として産み落とされるぐらいしかナイんじゃね....?? とおもったりした
自由意志の最たるものとして、恋愛があるとおもっていて、90年代? あたりのトレンディードラマの功罪なのかもしれないが、実はお見合いの方がシステムとしてよくデキてんじゃね?ってのは身の回りの結婚相談所パターンをみていて少しおもっているところで、自分はたまたまだいぶ自由恋愛寄りでパートナーと暮らせているけど、これはまあパートナーガチャ SSSSSSSSSSSSSRRRRRRRRRRRRRRRRR を引けた幸運に感謝して生きていきたい(何の話??)
つまり、シビュラによってパートナーが決定された方が幸せな個体もそれなりにいるのでは?という(ブラック・ミラーにそういう回があった気がする) また、職業に対しての向き合い方の "自由" もあるとおもっていて、自分はなんか好きなことをしていたらなぜかカネがもらえるでござるの仕事なので(YouTuberみたいだな)それなりに "自由" を享受できているが、仕事を仕事然として向き合っている人とは根本的に性向が違いすぎて話が噛み合わないナ〜というのはよくおもう 仕事に対してブルシットというアティチュードで臨んでいる人とは感覚が違いすぎて....みたいな