Evaluation Driven Development for Agentic Systems.を読む
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Evaluation Driven Development for Agentic Systems.
LLM(大規模言語モデル)を活用したアプリケーション開発における、「評価駆動開発(Evaluation-Driven Development: EDD)」という手法に関する記事ですね。従来のテスト駆動開発(TDD)の考え方を、非決定的な振る舞いをするLLMアプリ開発に応用したものです。
要約
この記事は、LLMアプリケーション開発の品質と開発速度を向上させるための体系的なアプローチとして「評価駆動開発(EDD)」を提唱しています。この手法は、従来のソフトウェア開発におけるテスト駆動開発(TDD)に相当するもので、LLMの不確実な振る舞いを制御下に置くことを目的としています。
EDDの主要なプロセスは以下の通りです。
1. 問題定義とプロトタイピング:
まず解くべきビジネス課題を明確にし、AIが本当に最適な解決策かを検討します。
次に、Jupyter Notebookなどを用いて迅速にプロトタイプを作成し、技術的な実現可能性を検証します。
2. 評価ルールの定義:
アプリケーションの「あるべき姿」を定義する評価基準(Evaluation Rules)を先に設定します。
これには、特定の入力に対する期待される出力のデータセットや、不適切な応答(ハルシネーション、有害な発言など)の定義が含まれます。
3. PoC(概念実証)と計測 (Instrumentation):
評価ルールを念頭に置き、ユーザーに提供可能な最小限の機能(PoC)を迅速に構築します。* これはExcelシートのような単純なものでも構いません。
同時に、プロンプト、モデルの応答、トークン数、レイテンシ、ユーザーフィードバックなど、システム内部のあらゆるデータをログとして収集(計測)する仕組みを組み込みます。
4. 観測と評価:
収集したデータを観測プラットフォーム(Observability Platform)で可視化・分析し、定義した評価ルールに基づいて自動評価を実行します。
この評価に失敗したケースや、ユーザーからネガティブなフィードバックがあったデータに焦点を当てます。
5. 改善とイテレーション:
評価に失敗したケースを分析し、プロンプトの改善、RAG(Retrieval-Augmented Generation)の高度化、エージェントの導入など、アプリケーションの改善を行います。
改善したバージョンを迅速にリリースし、再びユーザーからのフィードバックとデータを収集するというサイクルを継続的に回します。
教訓とインサイト
LLM開発は「工学」である: LLMアプリケーション開発は、プロンプトを試行錯誤するだけの「アート」ではなく、明確な目標設定、計測、評価、改善のサイクルを回す「エンジニアリング」です。* この記事で提唱されているEDDは、そのための具体的な方法論と言えます。
「評価」が品質の羅針盤: 出力が変動しうるLLMの性質上、従来の「正解は一つ」というテストは機能しにくいです。* 代わりに、「どのような基準を満たすべきか」という「評価」を先に定義し、それを開発の道しるべとすることが、品質を担保する上で極めて重要になります。* これは、システムの振る舞いに対する仕様書そのものとなります。
失敗から学ぶ仕組みの重要性: EDDの本質は、「失敗したケース(Failing Evaluations)」を意図的に作り出し、それを学習データとしてシステムを進化させる点にあります。* 完璧を目指すのではなく、うまくいかなかった事例を特定し、そこから改善点を学ぶというアプローチは、LLMの予測不可能な振る舞いを飼いならす上で非常に現実的かつ効果的です。
観測可能性(Observability)なくして改善なし: プロンプトエンジニアリングやモデルの変更がシステム全体にどのような影響を与えたかを定量的に把握できなければ、開発は闇雲なものになります。* ユーザーの入力から最終的な出力に至るまでの内部的なプロセスをすべて追跡・可視化する「観測可能性」の仕組みを早期に導入することが、継続的な改善サイクルの前提条件となります。
書籍「継続的デリバリーのソフトウェア工学」との類似性
「評価駆動開発(EDD)」の主張は、まさに「継続的デリバリー(Continuous Delivery: CD)」の哲学を、LLMという新しいパラダイムに適用したものと捉えることができます。
両者には、以下のような強い共通点が見られます。
品質をプロセスに組み込む(Build Quality In):
CD: テスト駆動開発(TDD)や自動化されたテストスイートをデプロイメントパイプラインに組み込み、品質基準を満たさないコードが本番環境に到達するのを防ぎます。テストが「動く仕様書」として機能します。
EDD: 評価基準(Evaluation Rules)を先に定義し、それを自動で実行する仕組みを構築します。これにより、LLMの応答品質という曖昧なものを客観的な基準でチェックし、品質の低下を防ぎます。評価が「期待される振る舞いの仕様書」となります。
高速なフィードバックループ:
CD: 変更を加えてから、その結果(テストの成否、本番でのパフォーマンス)が開発者にフィードバックされるまでの時間を極限まで短くすることを目指します。
EDD: プロンプトの変更やモデルの更新が、アプリケーションの振る舞いにどのような影響を与えたかを、定義済みの評価セットと本番データ(観測)によって迅速に把握することを目指します。
観測可能性(Observability)の重視:
CD: 本番環境で何が起きているかをログ、メトリクス、トレースを通じて詳細に把握し、問題の早期発見と解決に繋げます。
EDD: LLMへの入力、内部的な処理、最終的な出力、そしてユーザーの反応まで、プロセス全体を計測(Instrumentation)し、観測可能にすることを強く推奨しています。これは、予測不能な振る舞いの原因を特定し、改善のヒントを得るために不可欠です。
リスクの低いリリース:
CD: 小さな変更を頻繁にリリースすることで、一度のリリースに伴うリスクを低減させます。
EDD: 継続的な評価と観測を通じてシステムの振る舞いを常に監視し、大きな問題(ハルシネーションの増加、不適切な応答など)が発生する前兆を捉え、安全に改善を繰り返すことを可能にします。
結論としての洞察
「評価駆動開発」は、決して全く新しい発明というわけではなく、これまでソフトウェア工学の世界で培われてきた「継続的デリバリー」という堅牢なベストプラクティスを、LLMアプリケーションという不確実性の高い対象に適用するための「現代的な翻訳」または「適応(アダプテーション)」と理解するのが最も適切でしょう。
振る舞いが決定的なコードから、非決定的なLLMへと対象が変わったことで、「テスト」という言葉が「評価」に、「ログ」がより広範な「観測」へと進化していますが、その根底にある「品質を担保しつつ、迅速かつ安全に変更を届ける」という思想は完全に一致しています。
このつながりを理解することで、LLMアプリケーション開発もまた、魔法のような「プロンプト芸」ではなく、地に足のついた「ソフトウェア工学」の一分野として捉えることができるようになりますね。