ヒトの認知と仏教とAIエージェントハーネス
#AI時代のエンジニアリング #概念モデリング #思考法・原則
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このところ「内省って?」と考えるきっかけがいくつか重なったので整理してみた。
詳細なツッコミはご容赦いただきたい。
内省: Reflection
Google の AIモード曰く「内省(ないせい)」とは、ひと言で言えば「自分の心の動きや状態を、もう一人の自分が客観的に見つめ直すこと」とのこと。
Reflection て反射じゃね?とも思うが、外に向かう意識を内面に向けるという意味か?と思っていたが、そう単純な話でもなさそう。結論を先に言えば、自身のモデルが事象をどう写したのかを観察すること こそ内省と思われるので、内省=Reflection に腹落ちしている。
きっかけ
1. Xでの会話 プラユキ・ナラテボー氏のポストを見て、我 ≠ Entity の概念の理解が進んだ気がした
2. 「AIを活用するうえで内省が重要だよね」的な論文かブログかポストを見かけた(どこで触れたか忘れてしまった)
イベントストーミングでフロー化してみた
https://scrapbox.io/files/69ec7bfdfc4464f697cafc1c.png
Geminiと壁打ちしながら書いてたら、だいぶ仏教的な表現が多くなってしまった。
言いたいのは、このプロセス( 種子薫習 という)は常に自律的に行われていて、無自覚なままだと不快な出来事によって生じた負の感情が蓄積していき、認知を歪めかねないということ。
よろしくないのは、中央やや右にいるピンクの付箋: 末那識 さん。
末那識さんは、脳内モデル(阿頼耶識さん=ただのイベントストア)を「自我」そのものと誤認していて、我はstateful。故に辛みも悲しみも憎しみも忘れられない限りリードモデルを提供してくる 。
なんだけど、脳内モデルは単に自身の認知(≒これまで培ってきたものの見方)に過ぎず、実際の自我はstateless。リードモデルを読んだ瞬間は執着にまみれることはあれど、次の瞬間には忘れている(刹那滅)。
内省とは、まさにこのプロセスを理解し、自身がinputをどう受け止めたか?脳内モデルを通じてどのような感情を生じ、その結果をどのように受け止めたか?ということを メタ的に認知する こと。
だから芸術鑑賞などして、自分がどのように感じたか(暗黙知として何を得たか)を言語化する(表出させる)ことが内省の訓練 になるんだね。
で。
さらに思うのは、蓄積された情報によって認知が形成され、それによって表出される内容が変化する って、AIエージェントそのものじゃね?ということ。
つまりこの種子薫習プロセスは、自律型AIエージェントのmemory機能とreflection機能に読み替えられるんじゃね?と。
種子薫習における末那識は脱すべき誤認であり、AIエージェントではmemoryによって強化すべき振る舞いという根本的な違いはあるけれど。
だから何ですか感はあれど、何千年か前に整理されたヒトの認知プロセスがそのままAIエージェントのハーネスを理解する助けになるのってすごいな、というお話でした。