藁打石
動乱を避けた吉田兼好(
文人
)が、弟子の命婦丸の故郷であるこの地に隠れ住んだ
ここで兼好は藁を打って筵を作り、生計を立てていた
正圓寺門前にある“大聖歓喜天”の標柱の
礎石
が、藁を打った時に用いた藁打石とされる(
名石
)
『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.32
#大阪府大阪市阿倍野区
松虫通