教学IRのシステム
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IRの情報は多くが何らかのシステムを使って分析・報告・公表されます。基本的に学内の限られた関係者だけが目にする研究IRや経営IRのデータと異なり、学外向けの広報やほとんどの教職員に影響を与える教学マネジメントに使用される教学IRのデータ分析結果は、多数のユーザが使用するシステムで表示されるケースが多くなります。では、教学IRのシステムとはどのようなもので、どのように開発していけばいいのでしょうか。ここでは、代表的なシステムの例と開発時の注意点をご説明します。 1.ファクトブック
<このシステムの定義・特徴>
まず、何と言っても最も一般的で読者の皆様にもおなじみのシステムは「ファクトブックシステム」です。ファクトブックとは、その名のとおり教育機関に関する「事実」が指標としてまとめられたものです。例えば、学生数・教員数・校地・設備・経済的支援状況・就職状況など、国の学校基本調査や国際的な大学ランキングの基本データとなるような指標をまとめたもので、IRが導入される前から多くの大学で紙ベースのパンフレットやウェブサイトの基本情報ページとして作成されてきました。すでに存在しているものをシステム化するので、教学IR担当部局が最初に開発するシステムであることが多いのです。 <このシステムを開発するには>
ここで言うファクトブックシステムとは、ファクトブックをPDF化してウェブサイトに載せたようなものではありません。それではただの情報公開サイトです。もちろん、わざわざシステムと言っているので、このようなものでないことはお分かりでしょう。現在のファクトブックシステムは、TableauなどのBIツールを使った視認性や操作性の高いものが一般的になってきています。つまり一目でデータの概要が分かるダッシュボードが開発され、そこを起点にユーザが興味関心に応じてデータの掘り下げ(ドリルダウン)を行う形式になりつつあります。 そこで、ファクトブックシステムを開発する際には、次の二点についてきちんと検討して設計すべきです。第一に、ダッシュボードの構成です。データの全体像を表す可視化を「オーバービュー」と言いますが、ユーザにどのようなオーバービューを見せるのかはとても重要な観点です。人間の認知能力は限られているので、複雑な表や、多色の細かいグラフ、スクロールしないと読み取れない長大な時系列図などを示しても、全体像を効果的に示したとは言えません。
二点目は、データを絞り込んでユーザの興味関心を満たす情報に達する「フォーカス」への対応です。ユーザが迷子にならないように何階層までとするか、個人情報保護との関係上、何人のグループのデータまで達することができるように設計するかなど、具体的なドリルダウンの操作を想定して設計時に検討すべきです。
2.アーリーアラート
<このシステムの定義・特徴>
次に、最近注目されている「アーリーアラートシステム」が挙げられます。直訳すると「早期警戒システム」で、早めにリスクを発見して警告する機能をもっています。しかしこのように翻訳してしまうと、国土防衛システムや災害予測システムのような響きがあるので、通常翻訳せず、そのままアーリーアラートシステムと呼んでいます。教学IRで何を早期警戒するのかは様々ですが、最も多いのは成績不振や出席不足などによる学生の留年や退学の予測でしょう。成績や単位取得状況を分析して、アカデミックなリスクを予測し、留年や退学する恐れのある学生を抽出するシステムが一般的です。このような学生は英語でもAt-risk studentと呼ばれます。 <このシステムを開発するには>
アーリーアラートシステムの信頼性は、学生に関するデータをどこまで集められるかにかかっています。ここで「どこまで集められるか」とは、データの多様性のことです。例えば、成績のデータだけを緻密に集めることよりも、出席状況・多角的な学生調査結果・課題提出率・アルバイト履歴・友人関係など一人一人の学生の多様なデータがある方が、リスクをより的確に予測できます。
もう一つの問題として、アーリーアラートシステムが示す結果が、どの程度使えるのかという問題があります。例えば、「理系男子学生で自宅外通学、アルバイトを平日週3日以上している学生」が典型的な高リスク学生という結果が出たとしても、リスク要因を取り除く指導ができるかと問われると、困難であると考えられるからです。したがって、データ収集の面からも、結果活用の面からも、使えるアーリーアラートシステムを実現するのはとても難しいと言えます。
3.ベンチマーク
<このシステムの定義・特徴>
最後に、「ベンチマークシステム」があります。ベンチマークとは元々ビジネス用語で、共同他社と自社の特徴を示す指標を継続的に比較して、マネジメントに活用するものです。データは他のデータと比較して、初めて意味づけや評価ができるものです。ひとつの大学内で自分たちのデータを丁寧にまとめていっても、時系列分析しかできず、時系列で捉えたその大学の向かう傾向が分かるだけで、他の大学と比べなければ意味付けできないことがたくさん残されたままになります。そこで、ベンチマークシステムを開発して、教学マネジメントや広報に用いるのです。 しかし、日本には全大学が必ず参加する大規模調査や、徹底的な情報公開の仕組みなどがありません。大規模なベンチマークとしては、62大学(2019年10月現在)が加盟する一般社団法人IRコンソーシアムの共通調査があり、会員校の間でその結果が共有されています。また、国のレベルでは学校基本調査や大学ポートレートといった取り組みがあり、さらに、文部科学省が実施する学生調査も近く始まる予定です。 しかし、特定のライバル校を横並びに比べられる緻密な調査結果は存在しないので、IPEDSのような包括的なデータベースを活用できるアメリカの大学とは、まったく異なる状況です。したがって、日本の大学では入試の偏差値と大学ランキングがベンチマーク的な機能を果たしています。個人的な思いとしては、日本インスティテューショナル・リサーチ協会が、将来的にベンチマークを支援できる組織になればいいと考えています。 <補足(2020年6月22日)>
2019年11月、大学ポートレートは加盟校に対して「国公立大学情報活用サイト」のサービスを開始しました。同サイトでは、データのフィルタリングや様々な可視化が簡単な操作でできるように、BIツールが組み込まれた分析環境が提供されています。これによって、(データは限定的ですが)少なくとも国公立大学のベンチマークが可能になっています。本稿執筆時点(2020年5月上旬)では、明らかに誤ったデータが散見されることや、私立大学のデータ比較ができないことなど、まだまだ改善の余地はあるものの、ベンチマークするためのデータが入手できないという状況が改善されていく動きは徐々に見えてきています。
つまり、ボールは大学側に投げ返されることになるので、このようなデータをどのように活用するのかについての戦略や戦術が本格的に必要になります。これまで予備校や大学ランキング作成会社頼みであったベンチマークについてのノウハウを、IRがどのように蓄積していくかが問われる時代になりつつあります。
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