かかっていることに気づいている病いと気づいてすらいない病い
かかっていることに気づいている呪いと気づいてすらいない呪いはどちらがよいか
咲く花に思ひつく身のあぢきなさ身にいたづきの入るも知らずて
大友黒主
『古今集』仮名序
拾遺和歌集の物名に収録されていたはず
鶫
(つくみ)が二句に隠れている
この歌の場合は花を見て自分の身の「あぢきなさ」を「思ひつ」いたので気づいている
身のうさを思ひ知らでややみなましそむくならひのなき世なりせば
西行
東方妖々夢
の6面
『新古今和歌集』
反実仮想の倒置型
両者とも「呪い」についての話ではないのに注意
どこまで自分の読みに引き付けて読んで良いのか?
きっと批評の問題
「ロラン・バルトを参照せよ」と頭から指令が来た