『水無瀬三吟百韻』
[島津忠夫]
『島津忠夫校注『新潮日本古典集成 連歌集』(1979・新潮社)』
(...)この連歌は時の名匠三人の詠じたるものにして、しかも連歌道を興隆せしめられたる後鳥羽院の霊前に供ふるものとして、この人々が力をこめたるものにして、その出来ばえも一しほなりしが故に、古来連歌道の模範として名高きものなり。ことに面十句のよみ方としては永く世に数を垂れたるものとして古来これを珍重せり。 初折 表
雪ながら山もとかすむ夕かな 宗祇
行水遠く梅にほふ里 肖柏
河風に人むら柳春見えて 宗長
舟さすおともしるきあけがた
月やなをきり渡る夜に残るらん
霜おく野はら秋は暮けり
鳴むしの心ともなく草かれて
かきねをとへばあらはなる道
初折 裏
やまふかき里や嵐にをくるらん
なれぬすまゐぞ寂しさもうき
今さらに獨有身を思ふなよ
うつろはんとはかねてしらずや
おき侘る露こそ花に哀れなれ
また残る日の打かすむ影
暮ぬとやなきつゝ鳥の帰るらん
み山を行はわくそらもなし
はるゝまも袖は時雨の旅衣
わか草まくら月ややつさん
徒にあかす夜おほく秋ふけて
夢にうらむる荻のうは風
みしはみな故郷人のあともなし
老のゆくへよなにゝかゝらむ
二の折 表
色もなきことの葉をたに哀しれ
それもともなる夕くれのそら
雲にけふ花ちりはつるみねこえて
きけは今はの春のかりかね
おほろけの月かは人もまでしばし
かりねの露の秋のあけぼの
末野なる里ははるかに霧立て
吹くる風はころもうつこゑ
さゆる日も身はそてうすき暮毎に
たのむもはかな爪木とる山
さりとも此世の道はつき果て
こゝろぼそしやいつちゆかまし
命のみ待ことにするきぬ/\に
猶何なれや人の恋しき
二の折 裏
君をおきてあかすも誰を思ふらん
その面影に似たるたになし
草木さへふるき都のうらみにて
身のうきやとも名残こそあれ
たらちねの遠からぬ跡になくさめよ
月日のすゑや夢にめくらん
この岸を唐舟のかきりにて
又生れ来ぬ法を聞かはや
あふまてと思の露のきえかへり
身をあき風も人たのめなり
松むしのなく音かひなき蓬生に
しめゆふ山は月のみぞすむ
鐘に我たゝあらましのね覚して
いたゝきけりな夜な/\の霜
三の折 表
ふゆかれの芦零侘て立る江に
タしほかせを沖つ舟人
ゆくゑなき霞やいつく果ならん
くるかた見えぬ山里の春
茂みよりたえ/\残る花おちて
木のもと分るみちの露けさ
秋はなともらぬ岩屋もしくるらん
苔の袂も月はふけけり
心あるかきりぞしるき世捨人
おさまるなみに舟いつるみゆ
朝なきの空にあとなき夜の雲
ゆきにさやけき四方の遠やま
嶺のいほ木のはの後も住あかて
さひしさそふる松風の声
三の折 裏
誰かこの暁おきをかさねまし
月はしるやの旅そかなしき
露ふかみ霜さへしほる秋の袖
うすはなすゝきちらまくらもをし
鶉なくかた山くれて寒き日に
野となる里もわひつゝぞすむ
帰りには待し思ひを人やみん
うときも誰か心なるべき
昔よりたゝあやにくの恋のみち
忘られかたき世さへうらめし
山かつになと春秋のしらるらん
うへぬ草葉のしけき柴の戸
かたはらに垣ほのあら田かへしすて
行人かすむあめのくれかた
名残 表
やとりせん野を鶯やいとふらん
小夜もしつかにさくらさくかけ
灯をそむくる花にあけそめて
たか手まくらに夢はみえけん
ちきらはやおもひ絶つゝ年もへぬ
今はのよはひ山もたつねし
かくす身を人はなきにもなしつらん
さてもうき世にかゝる玉の緒
松の葉をたゝ朝夕のけぶりにて
うらはの里よいかにすむらん
秋風のあら磯枕ふしわひぬ
雁なくやまの月ふくるそら
小萩はら移ふつゆも明日やみん
あたの大野をこゝろなる人
名残 裏
わするなよかりにやかはる夢うつゝ
おもへはいつをいにしへにせん
佛たちかくれては又いつる世に
かれし林もはるかせそふく
山はけさいく霜よにかかすむらん
けふりのとかにみゆるかりいほ
いやしきも身をおさむるは有つへし
人におしなへ道ぞたゝしき