鉤十字の夜
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発行 2020年1月
出版社 水平社
第二次大戦がドイツと日本の勝利によって終わった後のさらに数百年後、ヒトラーが比喩ではない神として君臨し、ヒトラー以前の歴史は消去され、騎士と呼ばれる一部のドイツ人男性を中心とする中世的な階級社会が築かれ、女性に至っては人権を奪われるどころか家畜のような扱いをされる世界。
消されたはずの歴史について書かれた書物を先祖代々密かに継承してきた老騎士フォン・ヘスが、自分達にあらかじめ割り振られたような帰属的身分に疑問を持つイギリス人技術者のアルフレッドと出会い、失われた歴史や価値観と現実世界の虚構性を知らせて…というマトリックスみたいな物語。
原著の発表は1936年なんだけど、2020年になって邦訳が出たのも頷けてしまう内容というか、『侍女の物語』などにつながるフェミニズム・ディストピアにもなっているのが、80年以上前から問題提起されていて何も進んでない話なんだなと再確認させられてしまう。
また、ヒトラーと天皇を重ねたりは自分ではしないが、そういうシンボル化した存在を扱う周囲の人間たちの在り方や、明治以降の日本の国家神道と天皇制をはじめとする伝統を保守しようとする価値観は、この物語の舞台である神聖ドイツ帝国においてヒトラーの実像とはかけ離れた創作上のヒトラーに対する盲目的な信仰ってそう違わないのでは、と思う。
主人公が自分の信じ込まされてきた世界の虚構性を突きつけられるっていう意味でマトリックスっぽいと書いたんだけど、この作品の場合、主人公と一緒に真実を知らされるヘルマンというドイツ人がおり、彼がマトリックスでいう赤い錠剤を飲むしんどさに耐えきれずにぶっ壊れてしまう存在として描かれているのがよかった。
「閣下、思考の自由なきところに名誉もありません。そして、何も不名誉でなどありません。たとえ男の精神の中に、いかなる物事でも名誉あるものに変えてしまえるような、あらゆる素晴らしい理念なり、信念なりが――それがどれほど残酷で、不実で、間違ったものであろうとも――存在していようとも、その男の心の中には名誉などないに違いないのですから。ドイツ騎士としての閣下のお言葉は私にとってありがたいものではありません」
彼にはずっと分かっていたことだった。だがそれを口にされるのを耳にすること!恥辱が声に出されること!だがしかし、真実を手放してしまったならば、一体フリードリヒ・フォン・ヘスは何のために存在していたというのだ?
「たとえ誰もそれを全く知らなかったとしても」彼は思った。「たとえこいつが死に、自分も死ねども、真実は存在し続けるだろう。人間が誰もいなくなったとしても、その行いに関するいくらかのことは真実であり続けるのだ。『思考の自由なきところに名誉もなし』」(p60)
「なぜなら、もしも本当に何らかの違いがあるのならば、自分が自分らしくするのが一番だからです。男が象だとか兎だとかになりたがることはありません。もしも象が考えることができたとしても、兎や男になりたがることはないでしょう。象は自分自身であることを望みます。なぜならば、自分自身でいることは世界に存在する中でまさに最もよきことだからです。ある意味で、それは世界であり、それは全生命なのです。自分が自分自身でいられるような生こそが生の全てなのです。もしも妬みだとか、羨望だとか、劣等感を抱きながら他のあらゆる生き物に目を向けたとしたら、自身の生も自分自身も失うことになるのです。だからもしドイツ人が違った種の――本当に違った種の――生き物であるとしたら、彼は優越感を抱くでしょうが、私もそうしていいのです。私の方で根本的な劣等生を受け入れてしまうことは、私の男性性のみならず、生そのものに対する罪なのです。(…)」 (p131)
記録の破壊という人間性に反する大罪 (p140)