身ぶりとしての抵抗
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発行: 2012年10月
出版社: 河出書房新社
鶴見俊輔の本を『ことばと創造』につづいて読んだ。2冊目。
『ことばと創造』を読んでみた限りでは、鋭い事は言っていてもひたすら穏やかな語りぶりという印象だったので想像していなかったのだけど、ハンセン病患者との交流だったり60年安保の反対運動だったりベ平連だったり、戦後こんなにいろんな社会運動の中心で活動してきた人だと思わなかったので、ちょっと面食らった。
タイトルからして、運動運動した話ではなく、生活の中でどう振舞っていくかみたいな話かと思いきや。もちろんそういう話ではあるが、生活の中のどういった物事への視点や振る舞い、人との交流が、社会運動に広がり支えていくことになるのか、っていう事が肝の様に感じる。
今現在ポリティカルコレクトネスだのなんだので価値観のアップデートみたいな表現がされがちだけど、戦前・戦中派の鶴見がだいたい同様の事を語っているのを読むと、そういう公正さって別に時代によって変わるものでもなく本来普遍的である話が大半なのでは…と思ってしまう。
また、戦争を経験してる世代にとっての、戦前から戦中自分自身が何もできなかった事に対する後悔や、容易に戦争を支持する方向へ転向した今でいうリベラルに対する疑いの視線などについて、いくら理屈で理解していても共有しえないまま時間が経てば世代が完全に入れ替わってしまう事に結構恐ろしくなってくる。
他の本も必ず読む。
私は、土岐善麿の戦後始まりの歌を思い出す。一九四五年八月十五日の家の中の出来事を歌った一首だ。
あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
明治末から大正にかけて、啄木の友人として、戦争に反対し、朝鮮併合に反対した歌人土岐善麿は、やがて新聞人として、昭和に入ってから戦争に肩入れした演説を表舞台で国民に向かってくりかえした。そのあいだ家にあって、台所で料理をととのえていた妻は、乏しい材料から別の現状認識を保ちつづけた。思想のこのちがいを、正直に見据えて、敗戦後の歌人として一歩をふみだした土岐善麿は立派である。
敗戦当夜、食事をする気力もなくなった男は多くいた。しかし、夕食をととのえない女性がいただろうか。他の日とおなじく、女性は、食事をととのえた。この無言の姿勢の中に、平和運動の根がある。 (p12~13, I わたしのなかの根拠)
言葉が人を深く動かす時、その言葉は水源に痕跡をのこさない。 (p88, I わたしのなかの根拠)
「あのとき、こうであればよかったのに」というのは、自分の責任をはなれたことについての考えだが、自分が直接参加したかぎりでの歴史については、「あのとき、こう動けばよかったのに。そうしたらこうなっていただろうに」という命題の形をとっている。歴史の中を生きるということは、この種の命題が己が肩にふりつもってゆくことにほかならない。 (p156, II 日付を帯びた行動)
日本では、官僚だけが公けの立場を代表するという空気がつよく、公けの問題は、すべて官僚が解決してくれるという考え方にかたむきやすい。官僚のすることを批判する公けの基準が、戦前には勅語に求められ、戦後には世論に求められる。勅語に求められる場合は別格として、世論に求められる場合には、つねに量が問題になる。量は全体としては、マス・コミュニケーションの影響の下におかれ、独占資本の操作にゆだねられる。この状態から世論をすくいだして体制を批判しようという動きもまた、量をつくりだすことに熱中する結果、きわめておざなりな画一的な意見の束をつくってしまう。私たちは、官僚がそのまま公共だという考え方をもこえて、官僚であろうとなかろうと、量として大きくとも小さくとも、社会全体の問題を考えるところには公共の立場がなりたつという方向に進み出るほうがいい。公共の立場に立って考える私人の権利が、いまあらためて強く主張されることが必要だ。 (p176, II 日付を帯びた行動)
ここで、もう一度、戦争中の記憶にもどって考えてみる。戦争中、私は、戦争に反対する何の行動もすることができなかった。反対の意思を日記に書きつける。信用できると思う人にしゃべる。それ以上の事はなにもできなかった。しようと思うのだが、指一本あがらなかった。その時の奇妙な感じは、いまもあざやかにおぼえている。戦争に対する絶望感よりも、自分にたいする絶望感のほうが深かった。
戦後数年たってから、指一本あがらないという自己意識はうすれてきた。しかし、この前の戦争当時のようなひどい時代になると、もう一度ああいうふうに、体がすくんでしまうのではないかという恐怖感をぬぐいさることはできない。 (p177~178, II 日付を帯びた行動)
二十三年間の戦後日本の民主主義に失望することはない。この民主主義が、実は軍国主義者によってになわれてきたこと、今も部分的にその状態が続いていることを直視し て、これと正面から対立することを自分に課して生きてゆけばいい。ニセもののニセもの性をあばくあらゆる動きを、その動きがみずからをほんものと規定している点を別とするならば、私たちは受入れるべきだ。戦後日本の民主主義のニセもの性を照し出す実にさまざまの光源から、私たちは光をかりてくる必要がある。在日朝鮮人の問題、沖縄の問題、占領軍からも政府からも見捨てられてきた原爆被災者の問題、十五年戦争の事実をかくそうとする教科書検定制度の問題。それらの問題からとって来た光によって、 私たちは日本政府のとなえる民主主義のニセもの性をはっきりさせるとともに、私たちの戦後民主主義のニセもの性をあわせて照し出し、そのニセもの性とともに生きる決意を新たにしたい。ニセものであることのたのしみが、人生のたのしみではないのか。自分のニセもの性をみずから笑うたのしみが、私たちが開拓することのできるもう一つのたのしみではないのか。 (p209~210, II 日付を帯びた行動)