調査報道記者――国策の闇を暴く仕事
https://gyazo.com/0e41e643460377981517d235029c8479
table:
発行 2022/6/30
毎日新聞を辞めたフリーランスの記者の人の本。主に原発周辺の調査報道をいかにして行ってきたかについて。また行政がいかに意思決定のプロセスを隠したがるシステムであるか、何を隠そうとするのか、公開情報や情報開示請求、聞き込みのような地道に外堀を埋めていく作業で浮き彫りにしていく調査報道について。
読んでいても行政の専門用語などでどうしてもついつい目が滑りがちになったりして、途中まで集中して読むのが結構大変だったが、この本の前に読んだ『朝日新聞政治部』に比べてだいぶ読みごたえがある。
しかし、まず何よりも本の中に扱われているそれぞれの報道について、自分がほとんど把握できていない事について恥ずかしくなった。
とは言え、どの報道にしても特定の誰かが個人の利益を目論んでひどい事をしていた!なんて分かりやすい内容の話は無く、原発のような国策の場合は決定事項の透明性や説明責任よりも、ただ決められた方針を遂行する事が目的化しやすく、途中で計画の無理や矛盾が明らかになろうと個々の人間の責任と判断で立ち止まる事無く隠蔽しながら進むだけ…みたいなハンナ・アーレントが言うところの「凡庸な悪」の積み重なった話なのであって、そこに興味を持って理解するモチベーションを持ち続ける事も周りの人に共有する事も結構ハードル高い話だなと読み終わってみてもやっぱり思ってしまう。
ていうか、行政がまともになってくれれば済む話だろって話ではあるし、市民の一人ひとりにこうした負荷をかけずに済むようなちゃんとした仕組みを作ってくれや…という気持ちになるんだけど、そういう仕組みを構築するのもまともな市民社会があってのものなわけで…なんというか社会むずすぎ。
取材の中で、こうした隠蔽や改竄に直面した場合、それ自体を報道すべきである。「隠蔽」や「改竄」の見出しは強烈な印象を与えるため、読者からの大きな反響も期待できよう。だが、隠蔽や改竄を報道することが調査報道の目的ではなく、あくまでも意思決定過程の解明を通じて、隠されたテーゼを暴くことが到達目標であることを忘れないようにしたい。(p258)
ハンナ・アーレントは、親衛隊中佐としてユダヤ人を収容所する輸送する(※原文ママ)任務を担ったアドルフ・アイヒマンの刑事裁判を基にした著書『エルサレムのアイヒマン』(みすず書房)で、思想信条を持たずに、思考停止することで大量虐殺を担うことが可能になったと指摘している。この視点は「凡庸な悪」という言葉で広く知られることとなった。アーレントの著書はエルサレムにおける刑事裁判の記録が基になっている。国策が破綻した結果開かれた裁判によって「凡庸な悪」を表現できたと言えよう。
原発も官僚機構が支える国策であり、担当者が思考停止しなければ進められない点が共通している。そして、国策は意思決定過程を隠し、外部からの検証を激しく拒んでいる。日本型の行政不開示システムにあっては、本音と建前、温情的なスローガンと冷酷なテーゼという二枚舌がさらに検証を難しくする。このような「凡庸な悪」を追求する手段は調査報道しかない。 (p306~307)