混血列島論
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発行年月 : 2018年3月
出版社 : フィルムアート社
天皇家の万世一系云々的な話をはじめ「日本人は多民族との混血の少ない単一民族であるから云々」みたいな、ややもすれば排外的な論調の根拠にされかねない、危ういファンタジーとかオカルト話に対するいろんな角度からの冷静なツッコミになっているなあと思いながら読んだ。
下に引用した箇所以外でもタイのアカ族に日本の鳥居と同じ風習がある話であるとか、砂川闘争の成り行きを見守っていた在日米軍兵士の中に、後のネイティブアメリカンによる公民権運動の指導者、デニス・バンクスがいた事の意味など、興味深い指摘がたくさんあった。
わたしたちは異文化の他者と遭遇したときに、彼らを自分たちと異なる者として「対岸」へしりぞけ、同時にその目新しさに好奇の目をむける。他者は必ず異なる風習をもっていなくてはならないのだ。そのエキゾチックな風貌や習俗は十分に集客するための商品価値を有し、地方行政と民間が結託してそれを市場経済に組みこむようにする。(p44)
だが、そこに辺境の学である文化人類学や民俗学がセンシティブであるべき問題も見えてくる。それは、死者の物語を外側から完成して、学問上の権威づけや資本主義経済の消費の対象にしてはならないということだ。あるいは、人びとの良心の呵責を浄化するための凡庸な物語として利用されないようにすることだ。そうでなければ、彼らはその生において収奪された挙げ句、その死後もまた多くを奪われることになるだろう。 (p48)
マイケル・タウシグは「高度な言語をつかさどる意識をもった、わたしたち人間が、どうしてそれに名前をつけて、わたしたち自身の理性や記憶のなかへ風をふきこませてはいけないのか」という。「追憶するという義務を全うするために、風のことを記念碑だと呼ぶような蛮勇や狂気を持ち得た国家、宗教、あるいは共同体をあなたは想像することができるだろうか」と。風に名前をつけて、それを記念碑と呼ぶこと。それこそが、水面のうずまきを象った文様を身につける人たちにふさわしい姿勢ではないだろうか。それは欧米人から見たら蛮勇になるのかもしれないが、アニミスティックな感性をもつウィルタや列島の混淆民族たちからすれば、すんなりと納得できる感覚であるかのかもしれない。 (p53)
つまり『古事記』は天皇のグループの創作ではなく、縄文時代や弥生時代から一万年以上ものあいだ、日本列島に住んでいた人々の無文字時代の韻文の語りや神話がその源にあるというのだ。だから、古代以前から伝わる神話群と天皇を中心とする新しい神話の継ぎ目を見えなくすることが、『古事記』の編者たちが技術的な粋をこらした部分だったのである。 (p86)
神話における物語が、歴史的な事実や事件を象徴しているなどとは考えないほうがいい。それよりも、わたしたちはそのような文章によって、神話の編者たちが何をどのように思わせようとしたかったのか、その企図の部分にメスを入れる必要がある。そのようにいえば「歴史」はすでに単線的に進行するものなどではあり得なく、ある程度進んでは時代の支配者によって書きかえられ、少し繁茂しては剪定される植木のように、よく見れば複雑な切れ目と継ぎ目を重ねているものだといえるだろう。 (p88)
キム・デンヒは自信を次のようにいう。
"日本海には日本と韓国・北朝鮮・中国、それからロシアと五つの国がありますね。その代表は韓国人じゃないですか。韓国人はロシアの国にも住んでるし、日本にも中国の東北部にもいる、もちろん、北朝鮮にも。東アジア・極東をつなぐことのできる唯一の民族は韓国民族なんです。"
やや身びいきに聞こえなくもない。だが、このようなオホーツク圏や日本海における朝鮮民族のディアスポラは、戦時中に日本が朝鮮人を皇民化し、労働力として利用したことが原因のひとつであったことを忘れてはならない。いうなれば、キム・デンヒは戦後のポスト植民地時代における、アジア系から見たサハリン史観の塗りかえを主張しているのだ。 (p171)
最初ロシア人が国後島にきたとき、そこは無人島も同然で、どのように生活を立てたらいいのかわからなかった。短い期間だったが、日本人たちが魚の捕りかた、料理の方法、ジャガイモや野菜の栽培の仕方を教えてくれた。しかし習うための時間が充分でなく、目の前の食材の宝庫である海があるのに自分たちは餓えていなくてはならず、もっと日本人たちからいろいろ教わっておけばよかったと悔いているという。ここで彼は、日本人が特権的に優秀な漁民だといっているのか。いや、決してそうではない。北方四島の住民たちがアイヌから日本人、日本人からロシア人へと変遷しようと、そこでおこなわれる漁労のあり方は大きく変わらないことをいっているのだ。 (p178)
現代では人類学や遺伝子によって民族を同定する方法は否定されており、どんな民族であっても人種的には混交的で、それが文化的な単位であることは常識になっている。いわゆる「日本人」においても同じことで、そのような人種が地球上に存在するわけではない。さまざまな種族から流れこんできた人たちが混血したのが「日本人」であり、同じ言語や文化をもつひとつの塊を形成していると考えられる。(……)
欧米の外圧に対抗してあまりに近代化を急いだがために、明治維新後の日本社会では、日本民族を万世一系のものとしてひとまとめにしようという皇国史観が、後発近代国である日本における、いわば国民の自意識として流布されていった。「日本国民」や「日本人」というアイデンティティは、江戸時代以前の民衆の中にはほとんどなかったか、あったとしても希薄だった。(......)であるから、明治維新から太平洋戦争における敗戦までの時代において、外国の識者の方が色眼鏡なしに、冷静に近代日本のあり方を見つめることもできたし、外国のプロパガンダ映画のほうが戦前戦中の日本人の精神性やその姿を正確にとらえるという逆説も起きたのである。 (p268~269)