星に仄めかされて
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発行年月 : 2020年5月
出版社 : 講談社
右にコーヒーの小カップと水、左にクリームをかけない林檎ケーキ。普段はチャイか紅茶しか飲まないのにコーヒーを取り、しかも林檎は苦手なのに林檎ケーキを選んだのは僕らしくないが、それなら今何を食べるのが僕らしいのかと問われても答えが見つからない。僕らしい飲み物も食べ物もここにはないのだから、らしくないもので「らしさ」を出すしかない。いつもこれだと思いこんでいる自分を捨てる。それが旅だ。でもそんなことを口にしたら、せっかく最愛の休憩所に連れて来てくれたトーレはがっかりするかもしれないし、財布を開けてくれたノラに感謝することにもならない。だから何も言わずにケーキの上にのった林檎をケーキフォークでつついた。Susanooもこんな風にまわりの人たちに気を使っているうちに何も言えなくなってしまったんだろうか。言葉を口にすれば、必ず誰かを傷つける。絶対に傷つけないように細心の注意を払って遠回しな言い方をすれば、誰を傷つけないために何を口にしないようにしているかが逆にはっきり輪郭を表す。ちょうど切り紙を作った時に出た屑を見れば、どんな形が切り抜かれたのかがはっきり分かってしまうのと同じだ。(p168-169)
形容詞をど忘れすることは滅多にないと書いてある。それは確かにそうだ。でも形容詞は数が圧倒的に少ないし、ごく基本的な形容詞しか使わなくても生活できる。自分の形容詞人生がいかに貧しいものであったかということに気がつかないまま死んでしまう哀れむべき人も多いだろう。大きいビールを注文し、速い車に乗り、美味しい肉を食べ、美しい歌手をテレビで観る。それだけで満足してしまう人間は自分の人生に欠けている形容詞のことなど考えてもみないだろう。(p228)