日本人と神
https://gyazo.com/e09323056a1fe85de3da4eb8a377e331
発行 : 2021年4月
出版社 : 講談社
日本人の信仰のごった煮感について解きほぐしていくような本。面白かった。
雷などの超越的な自然現象への畏怖にはじまって、土偶等に代表される超越的な存在の形象化とイメージの共有、集落から切り離された清浄なカミの棲むエリアとしての山、その山を模した巨大な墓に首長を祀ることで死後も特別な存在として記憶させる装置としての古墳、さらにその古墳を利用した天皇の権威の正当化、そして天皇の地位が神聖化するシステムの定着して今に至る…っていう古代の流れの見方が面白くて納得してしまい、いまの日本で天皇制をこんなに必死に維持しようとしなければいけない根拠ってなんなんだろうとか考えてしまった。
また、そんな神輿がなければ国としてのまとまりが保てないとしてしまうと、いつまでも大人になり切れないような絶望感も感じる。
八百万の神的な価値観とかも、中世以降に仏教が広まることでようやく成立するものだとするなら、雑に古来からの民族土着の価値観であるようにいわれるようなものの言い方も、だいぶいい加減なものだよなと思わされる。
萌え出ずるアシの若芽は、それぞれの芽に満ち溢れる生命力そのものがカミだった。思わず畏敬の念を引き起こす巨木や奇岩も、それ自体が聖なる存在として把握されていた。独自の景観を持つスポットが聖なる場所とされ祭祀の場となることは、古今東西で見られる現象である。
カミは最初、カミと認識されたこれら個々の現象、個々の動物、個々のスポットと不可分の存在だった。私たちが目にする雷の背後に、それを引き起こす抽象化されたカミがいるのではない。生起するそのつどの雷がカミだった。雷鳴と稲光そのものが人知を超えた脅威だった。
(…)
先に言及した、後期旧石器時代の神子柴型の石槍に見られる過剰な「凝り」が出現するのも、この段階のカミ認識における出来事と推定される。人はカミの実在を認識し、その本質を再現できる能力を徐々に身につけ始めていたのである。 (honto, 13%)
壬申の乱(六七二年)を経て天武天皇が即位すると、ヒトガミは新たな段階に到達した。白村江の戦(六六三年)で唐・新羅連合軍に敗北していたヤマト王権は、かの国々に対抗すべく、強力な統一国家の樹立を目指した。そのためには国家の中心となる、権力と権威を兼ね備えた強いリーダーが不可欠だった。この目的を果たすために王権が試みた方策は、天皇を国家の唯一の代表者にまで引き上げ、その地位を絶対化することだった。
(...)
神代から現天皇まで切れ目なく続く神の系譜という途方もない主張を正当化するためには、それを裏づけるための具体的な根拠が必要だった。そこで当時の支配層は、都の周辺に点在する見栄えのよい巨大古墳を選び出しては、実際の埋葬者とは無関係に歴代の天皇の陵に仮託していった。こうして七世紀末には、国家的な政策として、古墳時代に造営された墳墓が代々の天皇の墓になぞらえられていく[今尾二〇〇八]。他方で、天皇陵の指名から漏れた古墳は、それが都城の造営の障害になる場合は容赦なく除去されてしまうのである。 (24%)
今尾文昭「律令期陵墓の実像」『律令期陵墓の成立と都城』青木書店、二〇〇八年
超越的存在が霊威をもつ外在者のイメージで把握されていた古代社会では、内在する聖性という理念が大衆に受容され、定着していくことは不可能だった。聖なる存在への接近は首長や天皇などの選ばれた人間が、特別の儀式を経てカミのステージまで上昇することだった。あるいは、修行者が超人的な努力を積み重ねてようやく到達できる地位だった。
それに対して、万人に内在する仏性が発見される中世では、もはやカミへの上昇は特別の能力をもった人間に限定されることはなかった。身分や地位や学識を超えて、だれもが仏になれるのである。大乗仏教がもっていた「悉有仏性」や「即身成仏」の理念が大衆レベルで受容される思想的な土壌が、ここにようやく整った。
根源的存在は、絶対的な救済者であると同時に森羅万象に遍在している。それは人間にも及んでいる。人は心の中に内なる仏性を発見し、それを発現することによって、みずから聖なる高みに上ることができる――こうした理念が人々に共有されていくのである。
人と超越的存在を一体的に捉える発想は、神祇信仰の世界でも受容され、その基調となった。一方的に託宣を下し祟りをもたらした古代の神が、宇宙の根源神へと上昇していくと同時に、個々人の心のなかにまで入り込んでくる。神は究極の絶対的存在であるがゆえに、あらゆる存在に内在するのである。
こうした理念は、「神は正直の頭に宿る」、「心は神明の宿なり」といった平易な表現を俗諺として、衆庶に浸透していく。それは個々の人間が、根源的聖性との直接の回路をもつに至ったことを意味するものだった。だれもが聖なる高みに到達できるという認識が、神祇信仰でも常識化していくのである。 (47%)
絶対者をどこまでも追求し続けた中世の思想家たちは、万物へのカミの内在を発見したことを契機に、その視点を一気に外部から人間の内面へと転じるに至った。カミはその超越性ゆえに、あらゆる事物に遍在するのである。超越性の追求が、キリスト教やイスラム教に見られるような人間と神の隔絶という方向にではなく、万物への生成の内在という方向へと進むところに、日本列島の神観念の特色があった。 (53%)
山をまるごとご神体とし、それを遥拝する信仰形態の普及は、自然の中にカミを見出す「草木国土悉有成仏」の理念が浸透する中世後期をまって、初めて可能となる現象だった。 (56%)
聖と俗との境界の曖昧化は、もう一つの点で、列島の思想界に重要な転換をもたらす契機となった。理想世界が現世と一体化したことに伴う現実社会を相対化し批判する視点の喪失である。
(...)
根源神が目の前の自然に溶け込んでしまったいま、宗教者がカミの権威を後ろ盾にしてこの世の権力を相対化するという戦略をとることは不可能になった。浄土が現世と重なりあったため、理想の浄土に照らして現状を批判するという視座も取りえなかった。それはこの世に残ったカミからすれば、その聖性の水源が枯れてしまったことを意味した。
彼岸の根源神を背後に持たない列島の神仏には、もはや人々を悟りに導いたり、遠い世界に送り出したりする力はなかった。仏も神も、人々のこまごまとした現世の願いに丹念に応えていくことに、新たな生業の道を見出していくのである。
だれもがカミになれるがゆえに、より強大な権力を握る人物が、より巨大なカミになりうる道が開かれた。中世前期のように、他界の絶対者の光に照らされてカミになるのではない。みずからの内なる光源によってヒトガミが発生するのが後期の特色だった。その光源に、身分や地位や権力といった世俗的な要素が入り込み、やがては主要な位置を占めるに至るのである。 (58%)
日本列島における聖なる存在は、縄文時代から今日に至る数千年の歴史の中で、いくども変身を繰り返してきた。
カミが個々の具体的な事物や事象に即して把握される段階から、抽象化が進み、目に見えないものとされる段階への転換があった。不可測な意思をもつ善悪を超えた祟り神から、明確な目的意識に裏づけられた救済者への転身があった。外在するものから、人間に内在するものへの移行があった。「神」「仏」「天」といった区分を超えて、日本列島のカミはこうした変貌を体験してきたのである。
日本の神を、列島のカミ観念の変容というコンテクストから切り離し、あたかもそれ自体において独自の進化を遂げてきたもののごとく捉える理解が、いかに実態からかけ離れたものであるかは明白であろう。またアニミズムやタマの崇拝を日本の神信仰の核心とみなし、太古からの連続性を強調する見方も適切ではない。同じ「アニマ」という言葉で表現できそうにみえるものでも、その内実は時代によって大きく変化しているのである。 (85%)
人間が実際には体験できない超越的世界を、抽象的な思弁のみによって再構成しようとする中世神学は、自然界に対する人々の知見が広がり、その仕組みを実証的に解き明かそうとする精神が勃興するにつれて徐々に存在する足場を狭められていく。地域や民族を超えて人々が絶対的存在の懐に抱かれているという感覚が失われ、カミは個々人の内面のレベルの問題とされた。共同体の紐帯としての機能を喪失したカミに代わって、近代国民国家では、ナショナリズムが人々の心をつなぎ止める役割を果たすようになる。
日本の場合、国民統合の中心的機能を担った存在が天皇だった。身分差別からの人々の解放の願望がヒトガミへの上昇という形態を取って現出したため、人をカミに移行させる役割を与えられた天皇の地位は、他の国民国家と較べて著しく濃厚な宗教的色彩を帯びることになった。 (85%)