推し、燃ゆ
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発行年月 : 2020年9月
出版社 : 河出書房新社
読みながら色んな人の顔が過ぎった。アイドル本人も周りのアイドル好きな人とかアイドル好きだった人も。
携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。 (p62)
階段を上る脚、手すりを摑む腕、途中で自分の部屋にたどりつくのすらきつくなって、あたしはそのきつさを求めているのかも知れないと思った。
あたしは徐々に、自分の肉体をわざと追い詰め削ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを追い求めている自分を感じ始めた。体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。 (p70)
自分で自分を支配するのには気力がいる。電車やエスカレーターに乗るように歌に乗っかって移動させられたほうがずっと楽。午後、電車の座席に座っている人たちがどこか呑気で、のどかに映ることがあるけど、あれはきっと「移動している」っていう安心感に包まれているからだと思う。自分から動かなくったって自分はちゃんと動いているっていう安堵、だから心やすらかに携帯をいじったり、寝たり、できる。何かの待合室だってそう、日差しすら冷たい部屋でコートを着込んで何かを「待っている」という事実は、時々、それだけでほっとできるようなあたたかさをともなう。あれがもし自分の家のソファだったら、自分の体温とにおいの染みた毛布の中だったなら、ゲームしてもうたた寝しても、日が翳っていくのにかかった時間の分だけ心のなかに黒っぽい焦りがつのっていく。何もしないでいることが何かをするよりつらいということが、あるのだと思う。 (p76)
なぜ推しが人を殴ったのか、大切なものを自分の手で壊そうとしたのか、真相はわからない。未来永劫、わからない。でももっとずっと深いところで、そのこととあたしが繋がっている気もする。彼がその眼に押しとどめていた力を噴出させ、表舞台のことを忘れてはじめて何かを破壊しようとした瞬間が、一年半を飛び越えてあたしの体にみなぎっていると思う。 (p123)