怪談未満
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発行 2022/7/27
混んでいる車内では、人でぎゅうぎゅうだったのと、まだ身長が低かったので、私の目線だと、手を伸ばしてくる人の顔は良く見えませんでした。今だったらむしろ顔をにらんで声をあげ、等の手順を考えますが、その頃は、見えない顔を見ようとしないことに必死だったと思います。手や指の動きを、顔と結びつけてしまうと人としての個を認めてしまいそうで嫌でした。個を認めてしまうと、いつか窓越しに移った、ピアスだらけの顔のように、記憶に残ってしまうのが嫌でした。それらの手は、人から分離した幽霊のようなもので、わたしが生活している世界とは、関係のないものでした。もし私に向かって差し伸ばされてくる手の根元に人がいるとして、その人が電車を降りて、会社に行って誰かと働き、家庭だって持っていて、私がいつも街の中ですれ違う人たちとも見分けがつかないような存在だとすれば、世界とは、今、私がとらえているものとはずいぶん違うものでした。違うものである、という事を受け入れてしまっては、わたしがこの先この世界で恋愛をしたり、学校を出てから働いたりして、新たな人間関係をつくっていくことは困難な事のように思いました。(p21-22 幽霊の手)
「親しみ深い」も「おもしろい」も「きれい」も、「かわいい」でからめとるのは、すごく楽です。楽だけど、罪悪感も少しあります。みんなが持っているおのおのの感覚をひとまとめにして人と簡単に共有できてしまう言葉は世の中に確実に増えており、そういうのを便利だなあ、と会話の端々で使っても、結果としてえられるのは「わかる~」という人のいい共感だけだったりして、その場ではそれなりに盛り上がるけれど、伝えたかった感覚を体よく処理してしまっただけだよなあ、とのちのち孤独を感じます。みんないろんなことを受け止めながら、それぞれの生を生きていて、その受け止め方は、とてもたくさんあるはずで、だから、個体が別なのに言葉は共通なこと自体、なんだかもどかしくなります。(p36-37 言葉で伝えるときのこと)
何年も人生を重ねていくと、失われた場所や人に関する感覚や記憶がたくさん積みかさなっていきます。もう、以前の経験の答え合わせができなくなってしまったことで、降り積もったそれらはぐるぐるとまわりながら、思い出すたびに形を変え原型とは似ても似つかない姿になっていき、あれなんだっけこの感覚は、などと、わずかに残ったかけらを見つめ、懐かしくすらならなくなる日がいつかくるんだろうなあ、と思います。(p92 忘れてしまう)