侍女の物語
https://gyazo.com/a978c4cd1d661b8f80f0f9a9f307af66
table:
発行年月 1985年(原著), 1990年1月(邦訳単行本), 2001年10月(文庫版)
つい最近出たこれの続編である『誓願』が面白そうだったので、まずはこっちをという感じで読んだ。
一見荒唐無稽で非科学的で本来バカみたいなフィクションの世界のはずなんだけど、これが書かれた時代以上に今の方が、より一層そうした価値観による体制を望んでいる人の声は大きくなっているんじゃなかろうか…みたいな事を感じてしまい読みながらどんよりしてくる。
本質的に何がディストピアって、クソみたいな社会のありように対する諦念のムードの事だよなと思う。
日常とは、あなた方が慣れているもののことです、とリディア小母は言った。今はまだこの状態が日常には思えないかもしれません。でも、しばらくすればきっとそう思えるようになるはずです。これが日常になるのです。 (p72)
でも、わたしたちはいつもどおりに暮らしていた。誰もがたいていは普段通りに暮らしていた。継続して起こるこのが日常となる。今のこの生活さえ日常なのだ。
わたしたちは無視することで 、いつもどおりに暮らしていた。無視することは無知と同じではない。それなりの努力がいるのだから。
何事も突然変わりはしない。次第しだいに熱くなっていくお風呂に入っていると、人は気づかないうちに茹でられて死んでしまうものだ。 (p109~110)
しかし、もしもあなたが未来の人間で、たまたま男で、ここまで付き合ってくれたなら、どうか覚えておいてほしい。男の人は、人を許さなければならないという誘惑なり感情なりに、女の人ほどには左右されないのだ。本当に、これは女にとっては抵抗しがたい誘惑なのだ。でも、これも覚えておいてほしいのだけれど、許しもまたひとつの権力なのである。許しを乞うことは権力であり、許しを与えたり与えなかったりすることは、たぶん最も大きな権力なのだ。 (p249)
こんなのばかげているわよ、とひとりの女性が言った。でも、自信のない言い方だった。わたしたちはなぜかこのことを仕方がないことのように感じてしまったのだった。 (p324)
僕たちにはまだ残っているじゃないか……と彼は言いかけた。でも、彼はまだ何が残っているのかを最後まで言わなかった。ふと、彼は僕たちと言うべきではないような気がした。わたしの知る限りでは、彼は何も失っていなかったのだから。
わたしたちにはまだお互いが残っているものね、とわたしは言った。これは本当だった。それなのに、わたしの言葉は自分の耳にさえすごくよそよそしく聞こえた。
すると彼はキスをした。まるでわたしがそう言ったことでふたりの関係が元に戻ったというかのように。でも、何かが、何かのバランスが変わっていた。わたしは自分が縮んだように感じられた。彼がわたしを抱こうとして体に腕をまわしたときには、自分が人形のように小さくなったように感じられた。愛がわたしを置き去りにして進んでいくように感じられた。
この人はこれを気にしていないんだわ、とわたしは思った。まったく気にしていないんだわ。この状態の方が好きなのかもしれない。もうわたしたちはお互いのものではない。わたしは彼の所有物になってしまったんだわ、と。 (p334~335)