ランドスケープと夏の定理
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発行年月 : 2018年8月
出版社 : 東京創元社
総朗読時間:9時間09分54秒
触れられている題材というかSF的なアイデア、人の記憶情報をデータに変換して遠く離れたラグランジェポイントまで飛ばしてそこで活動させたりする「情報=演算対」とか、別の宇宙を内包する「ドメインボール」とか、その名の通り運動エネルギーが保存されないためにあらゆる軍事兵器が無効化される「運動エネルギー非保存空間」とか、細かい理屈は(朗読で聴いていることもあり)さっぱりわからないけど、ワクワクする感じで楽しい。
なんとなくグレッグ・イーガンの「白熱光」を読んだ時と同じような感覚で、ディテールの理解はひとまず無視して、次から次に繰り出されるSFっぽい世界観の言葉に流されるに任せて、キャラクターの間に構築されるドラマを楽しめる気がする。(もちろんその辺の教養があった方がもっと面白いんだろうけど) のだが、その一方で、作中に登場する主人公の姉テアの傍若無人で強引な感じを自分の理解の及ばない専門用語をばかすか並べられる様子を音だけで聴いていると、ただスノッブでむかつく感じにもなって来るのと、池澤春奈さんがひとりで色々なキャラクターを演じ分けるという仕組みのせいだったり、台詞回しのせいだったり、色々な要因が重なって、それぞれが紋切り型でスケールが小さいキャラクターのようにも感じられてきてしまうというか、簡単にいうとアニメっぽいチープな質感になってしまっていたような気がする。