ストーリーが世界を滅ぼす
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発行 2022/7/29
装丁
「ストーリー」に対する疑問というテーマで、上の『書きあぐねている~』と同じタイミングで読んだら面白いんじゃないかという事で読み始めた。
こちらは表現論ではなく、社会科学としてのストーリーについての批評で、自分たちの社会にストリーというものがどう影響を及ぼしてきたのかについて書かれていて、すごく納得しながらすごくげんなりしてくる話。
集団の結束を強める効果をもたらすストーリーには、たいていの場合、集団の外側の対象が脅威や憎悪のような敵意によって設定される。というのは古代から現代までそう変わっていないものなのだけど、人間ひとりの生涯に関わる集団の規模が言語や民族や文化的アイデンティティを同じくする村とか集落のような小さなものだった時代であればまだしも、SNSとかの発達で関わる人の数が膨大になった現代においても同じように駆動し続けてるのって、もうだいぶデメリットの方がデカくなってませんか、とか。
あるいは、何か自分たちの理解を超えるような無秩序な出来事があった時、まず安心するためか反射的に既存のストーリーに当てはめて、事実やエビデンスを無視するような行いを止めることが出来ないでいる我々って、そろそろだいぶヤバいんでないですか、とか。
先週みた videonews の宇沢弘文にまつわる話の中で、戦争を経験した戦後の知識人が理系の学問、特に数学を志したって話にもつながるものがあった。
ナラティブは世界を理解するためにある。それを、世界を単純化することによって行う。すべてのナラティブは還元主義である。そして私たちはひとたび自分の存在に一貫性と秩序を与えてくれるナラテ イブを手にすると、無我夢中でそれを守る。自分の特別なナラティブを失うのは、いきなり重力がなくなって意味が宙に舞いどこかへ行ってしまうようなものだ。それは恐ろしい感覚だから、ほとんどの人は絶対にそうならないように気をつけながら人生を送っている。つまりナラティブを検証することにではなく、ナラティブを守ることに心のリソースを注ぎ込んでいる。(p212)