カンマの女王
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発行年月 : 2020年12月
出版社 : 柏書房
自分の仕事で好きなのは、人となりのすべてが求められるところである。文法、句読法、語法、外国語、文学の知識だけでなく、さまざまな経験、たとえば旅行、ガーデニング、船、歌、配管修理、カトリック信仰、中西部、モッツァレラ、電車のゲーム、ニュージャージーが生きてくる。 (p23~24)
一般的に、英語では性別を職業名にくっつけるのは余計だし、たいてい侮辱的になる。乳母や助産婦や売春宿の女主人のような生物学的に規定されるひと握りの職種をのぞいて、どうして性別を付け加えないといけないのか? 女性の語尾が強力で便利な、しぶとい英単語もある ―― ギリシャ語からもらった heroin 〈ヒロイン〉、ラテン語からは dominatrix 〈SMの女王様〉。使うがいい、セクシストの豚ども。 (p82~83)
疑り深いひとたちにむけてサッチャーは、スウェーデンでは新たに作られた性(ジェンダー)を持たない代名詞 (hen)を幼稚園で使い、男女のステレオタイプからの子どもたちの解放を目指していると紹介する。そして敬称 Ms. の成功を見よ、と彼は言う。
しかし、Ms. は敬称という表層的なもので、飛行機のチケットを買うときにクリックする程度だ。代名詞は言語に深く埋めこまれており、ひねりだされた代名詞はどれも消え去る運命にある。理知的なものほど、現実に使うと考えるとばかげている。ひねりだされた代名詞は、まわりに溶け込んで問題を解決するのではなく、立ち上がって腕を振り回す。姿を隠すべきところなのに。 (p90~91)
言語における性(ジェンダー)は装飾であり、単語をドレスアップする方法だというアイディアは、人間の身体にも応用できる。わたしたちを見た目によって男性と女性に振り分けるもの ―― 胸、腰、ふくらみ ―― は、種の存続に欠かせないのは言うまでもなく、装飾でもある。口紅やハイヒールは屈折語尾、女性系語尾だ ―― 囮、性器だ。単語に末尾にぶら下がるこうした余分な文字は、文法の生殖器である。そして代名詞があるのは骨髄のなかだ。 (p97)
カンマが持たらすのは浮力である。 (p134)
自分のカンマ感覚(センス)が信じられなくなった。ときには、a thin and burgandy dress 〈薄手で赤ワイン色なドレス〉が問題なく聞こえた。仕事でも、 a stout, middle-aged woman 〈恰幅がよくて中年の女性〉? これは変だと思う。 a middle-aged and stout 〈中年な恰幅のよい女性〉? ぜったい変だ。これは a fat old lady〈でぶな老婦〉 と同じケースじゃないのか ? a fat and old lady 〈でぶで老いた婦人〉? an old fat lady 〈老いてでぶな婦人〉? 老いたでぶ婦人 ? an old fat lady〈老いたでぶ婦人〉 が使えるとしたら、サーカスの the fat lady〈でぶ婦人〉がお払い箱になり、野心ある new fat lady〈新でぶ婦人〉が another fat old lady〈次期でぶ老婦〉になるという文脈くらいだ。頭がおかしくなりそうだった。 (p143)
エミリー・ディキンソンのダッシュと同じく、ヘンリー・ジェイムズはセミコロンを時間を調節するために使う。セミコロンが積み重なると、いくつもの感情が同時に存在するように感じられる。2つのものをいっぺんに読むことはできないにもかかわらず。まるでオペラのトリオである。 (p187)