みずうみの満ちるまで
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著者 土形亜理
装丁 田中久子
装画 萩結
発行年月 2026年1月
出版社 早川書房
いわゆる静謐で救いのないディストピアSFで、舞台となるヘブンズガーデンという場所の設定こそやや現実離れしてはいるのだけど、物語中の世界が抱えている問題は現実の気候危機とか難民問題や社会格差が直接つながったものなので、そこまで好みの雰囲気のものではなかったものの最後まで興味を失わずに面白く読めた。
モチーフとして限界の来た世界から富裕層が逃避する先としてのデジタル上の仮想空間という装置が出てくるのだけど、この作品に限らずこの手の設定を見ると、わざわざ人格をデータ化した世界で現実と同じグラフィックを描画するのって意味あるのか、あってもコストパフォーマンスに見合わなさ過ぎるんじゃないかなんてことをつい思ってしまう。
という話をClaudeとGeminiに投げてみると、確かにそういう面もあるけど必ずしも全部が全部レンダリングされていなくても描画された世界として成立可能な方法はあるはずだし、なによりビジュアルによる空間識が人間性とか自他の境界を維持するために必要になっている部分は必ずあるはず…といったツッコミが入ってそれは確かにとなった。
似たようなひっかかりは以前読んだ笠原千波『風になるにはまだ』でも感じた話だったのだけど、そう考えてみるとデジタル化によって現実からの自己の連続性が絶たれることで、ないと思われていた仮想世界上での死があって…みたいな設定も強度が増してまた感触が変わる気がする。
…思うに、これは人間知性そのものが抱えた致命的な欠陥なのだ。生き物は生存のため、安全と安定を求める。混沌を逃れ、不確実さを排除したいという、その本能的な欲求を、人間の知性は増幅してしまう。その結果が排他性であり、支配欲だ。そして戦争へ、飽くなき蓄えへと人間を駆り立てる。もちろん、すべての人間がそうなるわけではない。だが問題は、それに立ち向かおうとする者たちでさえ、同じ欲求から逃れられなかったことだ。安全と安定への渇望は、彼らの内で正義の姿をとった。人類がいつか悲劇の歴史を乗り越え、正義を実現できるという希望の形をとった。あるものは科学や哲学の知識の海へ深く潜った。深く深く――そのうち彼らは目分がいったい何を探求していたのかを忘れ、知の女神と戯れたまま戻らなかった。あるものは地表を目指し、混沌から離れて闘いの道を選んだ。しかし正義をなすというゴールを定めた時点で、彼らの歩みもまた現実のまぎれもない罪だ。思考を放棄して享楽の海に浸るのも、こんな時代に希望を語ることこそが罪なのだと。悲劇は生命の歴史そのものの、絶ゆまぬ変化そのものだ。人間が引き起こす破壊があまりにも巨大で、そのたび生まれてくるはずの再生と創造の芽を、ほとんど摘み取ってしまうことだ。ならばわたしがすべきなのは、われわれの破壊と死の物語を、再生と創造に開かれた悲劇へ戻すことではないか。これまでこの星で繰り返されてきた、ありふれた生命の物語に。
(p275~276)
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