ことばと創造
古い言いまわしの読みかえとは、言葉の持つあいまいさ(多くの意味を同時に持つこと)への積極的態度を前提とする。あらゆる種類のあいまいさが、明らかさよりもよいというのではない。あいまいから明らかさへと進むことが、学問のひとつの目標だろう。初めに人工的な単純な概念をつくってから、それらの概念によって、あいまいな状況を記述しようと試みる場合もあろう。この点で、文明開化のもたらした言語観・思想観は、正しい。 しかし、あいまいさの持つある種の活力があり、それが、われわれの日常の思想をいきいきとしたものとしている事を忘れないようにしたい。 (「I 表現の胎動」p10)
日本の生活そのものはあと二十年のうちにアメリカ化するであろうが、それに並行して、アメリカの学問の部分請負をするようになる日本の学術語が、二十年後においても日本の思想の言語になりうるとは思われない。我々が持ち得る思想の言語は、長い年月にわたって使いこなされてきた慣用語を通してでなければ生まれないであろう。 (「I 表現の胎動」 p49)
日本では抽象語の発達がいちじるしく遅れているにもかかわらず、まったく具体的かつ個別的ななにか一個のものに託して、その一個の例を越えある種のことを表現するという仕方で、抽象的意味を具体的なものに託して表現するかたちで、抽象類似作用がおこなわれてきた。(...) 日本人が花に託し、景色に託していろいろのことを言いあらわしてきた習慣のつみかさねの中には、これからの慣用語の転生を、今後数百年の社会状況の変化に合わせて設計し、再設計するだけの弾力がある。自分の土地を離れられない農民が、自分の見渡しうる土地の中にあるさまざまなひとつひとつのものを、なにものかに見立てながら世界の問題を解釈し、批判しうるような、そういう思想の言語を作ることをめざしたい。 (「I 表現の胎動」 p49,50)
キャッチフレーズの場合でもそうだが、お守り言葉の場合にも、その言葉の意味の流動的性格に気をつけることが必要だ。「翼賛」というお守り言葉を例にとると、この言葉は明治時代に憲法発布の告文によってお守り言葉としてのききめをもつようになってから、大正時代に政党政治のさかんな時に、各政党がその立場をまもるためにつかわれた場合にも、大衆はその意味を吟味せずにうけいれたし、昭和に入って日中戦争の中でナチスばりの一党政治体制をつくろうとする運動にかぶせてつかわれた時にも、民衆は、もととおなじ言葉なので、その意味を特に吟味せずにまたうけいれた。このおなじお守り言葉は、時代によって、まったくちがった政治傾向を意味していたのであった。 (「II ことばが息づくとき」 p135)
「にっぽん」というようなお守り言葉の場合には、字引きにたよってこの言葉のさししめすことがらだけを考えているのでは、その言葉がお守り的につかわれる際に生じる意味をとらえることができない。どういう状況の下で、どういう人が、どのような目的のためにこの言葉をつかうかを見なくては、その言葉の特有の意味をとらえることができない。 (「II 「ことばが息づくとき」 p134)