あなたが私を竹槍で突き殺す前に
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発行年月 : 2020年3月
出版社 : 河出書房新社
面白かった。虚しさ。無力感。
読み進めていく内にタイトルほどの刺激、ショッキングさはないように思えてしまうのは、現実のありように結構麻痺されてしまっている現れなんじゃないかと気がついてクラクラする。
『ミスト』のような結末と書くとそれだけでネタバレのようになるけど、結末なんて物語を決着させるためのギミックでしかないと思うし、物語は現実と地続きになっていて終わってないのだ。というような事を特に考えてしまう内容だった。
「左翼は必ず内ゲバをする、という言説を僕は好かない。僕の父がだいたいそういう事を言いたがる人間だった。あの世代、左翼嫌いが高じて冷笑保守に定着した世代。平和がいちばんとか言いながら結局は日和見主義。すぐ『どっちもどっち』と裁定したがる面倒くさがりで、政治を語ることをタブー視するのも、勉強や現実直視が苦手なだけだったりする。個性よりも目立たないことを望み、精査された情報よりもぼんやりした直感を信じ、反権力を気取ることは恥ずかしいとしながらも単に長いものに巻かれて安心したいだけ、自分の頭で詳しく深く考えたくないだけ。僕の父も、弁護士のくせに、人権を制限する法律制定の数々に『自分にやましいところがなければ問題ない』と、見て見ぬふりをする。」 (p13)
しかし、思想、というものを宣明は次第に欲するようになる。それを武器として気にくわない相手をただ、からかいたい。冷や水を浴びせたい。感情を露わにさせて本音を吐かせたい。正義とはこれだ、我々は正しい、と前を向く雄姿の、その足を引っかけて転ばせたい。我こそは中道、全く公明正大な考えの持ち主だ、と信じて疑うことを知らない奴に、いかにお前は偏見に寄っているか、自立した個人のつもりが世の流れに迎合してばかりいて、流れとしての権力にいかに洗脳されているか、自ら考えることを知らないか、ということを突き詰めて気づかせて、そうして赤っ恥をかかせてやりたい。 (p92)
笑う側に回ってさえいれば健全、普通の市民、という精神性。ユーモア精神が本当に言われているほど大事なのか、かねてより太一は疑問だった。諧謔や皮肉や冷笑や戯画化など、結局は反権力として何の役にも立ってなかった現実、どころかこのように、笑いの暴力はファシズムによく似ている。 (p150)
少女時代からずっと素直に言うことを聞いてきたマヤだったが、ある日「なんで男の子は良くて、女の子は駄目なの?」と訊いてきたことがあった。そうだった。あれは一種の反抗期だったのか、あえてそういう表現を俺に聞かせたふうだった。
性差別の問題とか、そういうややこしい論争に巻き込まれたくなかったから、おれは、
「お前はそれでいいのかも知れないけど、お父さんやお母さんが、その結果疑われることになるんだよ、わかってる?あの子の教育はどうなってんのかって、教育に関係ないお母さんまで疑われることになる。そこまで考えた上で言ってんの?」
そんなアンフェアな言い方をして彼女を黙らせていた。言い負かしたことに安堵さえしていた。思い出した。自分は構わないが社会がそれを許さない、とはいかにも典型的な抑圧文法だ。 (p277)
ある日、あの過去、日本ではもう数えるほどしかない女子大にマヤが進学することに決めた時、おれが、
「男嫌いだから女子大にしたのか?」と言ったことがある。
俺を一瞬睨んでそのまま二階に上がったマヤだがその後ろ姿に向けて、おれは乾いた笑いを投げかける。冗談だよ、と言わんばかりに。
冗談だからなんだというのだ。なんで女性の選択ばかりいちいちセクシャリティに関連付けようとするのか、おれという男は。 (p278)