ふにくん三十一歳 その他の短編
西川口圭さんというと、前作『大熊猫』を読んだ後でここに結構辛辣な言葉も含めて好き勝手に書いた感想が本人に伝わって、感想を書いたということの礼も言われはしたものの、本人を前にするとやっぱりなんかすいません、というか何様なんだ俺はという感じにはなったのだった。
なまじ認知されている以上は新しい作品を読んだら何かしらの感想は伝えるのが礼儀ではあるが、今回もなんか偉そうなことを言いたくなるようなものだったらどうしよう…,…などと思っていたのだけど、今回は本人も本の中で手応えを述べている通り、ふつうに面白く読めてとてもよかった。
特に表題作の『ふにくん三十一歳』はひたすら日常を過ごす主人公=筆者の日常の風景が書かれているだけなのだけど、絶えず読者に向けて自分の行動に対するメタ的な「自分てこういうの人間なんで」という言い訳や迷いが書き連ねられており、特に劇的ななにかが起こらない中でも、日々自分の内面で蠢いているものがダラダラ漏れ出してるような、ひとの日記を読む面白さがあってとても自分好みだった。
それでいて途中でやや非日常的なイベントに踏み込んでギアが少し変わるのも、読ませる工夫としてちゃんとしている…なんて言い方はよくないけど面白く読めました。
とはいえ、そこで結局何も起きないんだろうなと思ったら、ほんとに起きないのがいいのか悪いのか何とも言えないところで。同じスタイルの連作とかもっとボリュームを増したものを書いた時に本当に日常からはみ出る可能性が高まるくらいの方がいいんですかね。たまにはあって欲しい。
自分は大学生の頃か卒業したすぐ後くらいに、いましろたかしの『釣れんボーイ』を読んだ結果、「ああやっぱりがんばりたくねえな」という思想が心の奥に根を張って今に至るところが結構あり、それについてはよくない影響も少なくなかったな…と今にしてよく考えたりもする。要は、あんまりうだつの上がらない人間のグズグズした日常をダラダラ浴びてどこか安心したりするのも考えものだなと思っているので、フィクション作品におかれましては登場人物に何かがあって欲しい。というか。
また、それぞれがそんなに長い分けでもないのに、これまでの作品にあったような食い足りなさもそこまで感じないのもよかったです。
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