『Fight Club』
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1999 年
感想 (ネタバレ注意)
主人公がタイラーやファイトクラブのメンバーと比べて弱そうで違和感があったけれど、そういうことかと納得した
タイラー (ブラピ) がかっこよすぎ、主人公が憧れて惹かれるのが分かる
最後のカットが作中のタイラーがアニメ映画に一瞬だけポルノを仕込む設定と重なっておもしろい
大量生産・大量消費社会への反発のような動機
「ワークアウトは自慰行為だ。男なら自己破壊を。」
「痛みを感じろ。苦しみと犠牲が尊いんだ。痛みから逃げるな。人生最高の瞬間を味わえ。」
単純な破壊と自己破壊は全く別物だと思った
自己破壊を極めていたタイラーが宿題として赤の他人に喧嘩を売れという指令を出した時は少しがっかりした
破壊に対する違和感の正体は、社会に対する不満や抵抗のために破壊をしている人達が平然と社会インフラの前提の上で生活をし、社会のシステムに支えられているのにもかかわらずそれに気づかない (気づけない) 彼等の傲慢さや自己への過大評価だと気づいた
一方、自己破壊は自分自身の行動指針や生き方の問題で破壊とは全く違う
主人公が北欧家具のカタログのような部屋を作ることに表われている物や名誉などを積み上げる生き方への反発が感じられる、岡本太郎が言っていた積み減らす生き方がタイラーの自己破壊と近い 生き方としての自己破壊が僕に刺さるのは物質で溢れかえっている現代だからこそではあると思う、前線の塹壕の中では自己破壊なんて言ってられない、こういう前提というか時代性は見失わないようにしたい
観ていた時はこの自己破壊を突き詰めていくと前線に意気揚々と向かっていった一次大戦の兵士と同じ結末になるのではないかと感じていたがこれは勘違いだった