◎ 2018年7月7日(土) 「土曜日の夜」
・ いったんは良くなった(と思った)膝の状態は、大学レスリング部での練習の翌日から再び逆戻り。復帰後4回目の練習で慣れてきて、ふつうに頑張ってスパーリングをしてしまったせいか・・・。そのため、復帰しようと思っていた土曜日のSKアカデミー練習には、参加できなくなってしまった。(膝に注射をするのに二週間に一度通っている)医者からも、レスリング練習をするから腫れるのだと言われた。 ・ 土曜日の夜は、出張で東京に来ていた上野修さんと、夕食(蕎麦)とその後場所を移動してのお茶(10時半まで)。2月11日に山口で会って以来の再会。どこでいつ会っても、同じペースですぐに哲学話(議論)になって、世俗的な話はほぼ皆無。 ・ 上野さんの原稿「スピノザの真理同一説」を会う前に通読してきたので、いくつかコメント。
・ 同一説の本来的な「言えなさ」が還元の言説へとスライドしてしまうところにこそ、語りえない同一の〈真〉に対する本源的な〈偽〉や〈誤〉の姿を見るべきではないか、その〈真〉〈偽〉は命題に内在的な真・偽とは違う・・・等々。
・ VRやレプリカやマリオネット問題等との関連で、イメージにも表現にものっからない現実の身体について。あらかじめ二元的にあるのではなくて(むしろ逆であって)、どこまでも接近し同一化しうる。しかし、その完璧な接近や同一化自体が無意味になってしまう場所(焦点)にこそ、現実=身体が位置している。
・ 逆に言えば、イメージや表現は本源的な「マイナス」によってこそ、それ自身でありえている(マイナスのマイナスとしてのプラスとの間で二元性が後から立ち上がるとしても)。身体論に関しては、「第二の自然としての習慣」のパラドクスが、身体のノモス化についても言えること等も話題に。
・ 身体論関連の話になったのは、私が「レスリングする身体」という発表の準備をしているからであるが、上野さんでさえ「レスリングはギリシア・ローマから始まった」と誤解しているようだった。その誤解は「ヨーロッパ中心思考」の産物にすぎない。もちろん、メソポタミア・エジプトではすでにレスリングが好まれていたし、「起源」的なことを思考するならば、人類の起源がアフリカ大陸にあるならば、レスリングの起源もアフリカ大陸にあるだろうし、さらに言えば、「レスリング行為の起源」は人間ではなく、人間以前に(少なくとも哺乳類まで)遡ることができると私は考えている。 【2018年7月8日記】