◎ 2018年5月17日(木) 「シンポジウム提題要旨」
・ 膝が悪くて、一ヶ月近く練習ができないでいる状態だが、そのおかげで(?)色々と執筆の仕事は進んでいる。
・ 今日の段階では、こんなものになった。
入不二基義(青山学院大学)
「レスリング(wrestling)」あるいはその動詞形の「レッスル(wrestle)」は、領域特定的な意味と通底的・一般的な意味の両方を持っている。領域特定的な意味での「レスリング」とは、一定のルールに基づいた特定の格闘競技・種目のことを表し、領域特定的な意味での「レッスル」とは、その競技内での格闘行為を表す。
一方、通底的・一般的な意味での「レスリング」とは、他の格闘競技であっても必ず含んでいるような基礎的かつ汎用的な身体所作を表し、さらに格闘ではなくとも、二つの身体の絡み合いにおける或る固有のあり方を表す。同様に、通底的・一般的な意味での「レッスル」とは、特定競技を超えた「取っ組み合う行為」そのものを表し、その「身体的な力感を交換し合う行為」一般も表す。さらに、対人的行為であることを超えて、「レッスル」は、困難な問題や課題に「取り組む」ことまでも表す。
「レスリング」「レッスル」がそうであるように、「レスリングする身体(wrestl-ing bodies)」もまた、同様の領域特定性と通底性・一般性の両方を持っている。「レスリングする身体」とは、特定の競技・種目を実践する身体だけではなくて、いわゆる「組み技系格闘技」と言われるもの全般に潜行する身体のあり方や技法を表すし、さらに「レスリングする身体」は、じゃれ合い・絡み合い・密着し合う行為群の内に広く浸透する接触身体でもある。その結果、「レスリングする身体」の広がりは、子ども的な身体の古層を介して、動物的身体の次元へも延びている。
私は、10年ほどのレスリング・フィールドワークを通じて、上記のような身体の「古層」を経験することになった。レスリングの観点から見えてくる身体は、当然のことながら一個体をはみ出すし、さらにはヒトという種をもはみ出す。そして、そのはみ出し(連続性)は、翻って「レスリング」というジャンルの(アメーバ的な)あり方にも通じていて、たとえば「プロレス」という独特の表現形態もまた、その連続性の相の下で見ることができる。
【2018年5月17日記】