「新しいものは古いもの」(2012年2月)
【2012年2月4日(土) 心理学科の同窓会でスピーチをさせられたので、小・中学校でいっしょだったK君の話をした(地元の公立の小・中なので、ほとんどみんな9年間いっしょに過ごす)。その内容をあとでメモしたもの。】 ・ K君は、小学校では目立たないおとなしい子だったのだが、中学校に進んでから「開眼」してリーダー的な存在になっていく。そのきっかけは「英語」。
・ 中一の英語の授業で、みんなが順番に立って教科書を音読させられていく場面で、K君の音読だけが際立って流ちょうで美しく、みんながうっとりするほどだった。
・ 他の科目と違って、英語だけは中学で初めて学ぶ科目であるし、みんなの注目度も高い。そこでうまくスタートできると、その後の中学校生活は一変する。
・ K君は英語ができる人として認知され高評価を獲得し、生徒会などでは名議長として活躍することになる。
・ もしかしたら、彼の小学校から中学校への「変身」は意図的・計画的だったのでは?と思われるほどに、それはみごとな「成長」だった。
・ 「英語」が、彼のアイデンティティ形成の中核にあることは間違いない。その後、大学ではESSでも活躍し、メガバンクの国際部門において(まさに「英語」を使って)世界を股にかけて活躍する。
・ しかし銀行の実質定年は早い。国際的に活躍したK君ももう一線からは退いていて、今年の年賀状では、「NHKのど自慢」に新たに挑戦ということが記してあった。
・ おそらく、大人になってからのK君しかしらない人は、「えっ?」「なぜNHKのど自慢?」と思うかもしれないが、私はそうではなかった。なるほど!と思った。
・ 彼のアイデンティティ形成の中核に「英語」があることは間違いないが、それを支える更なるアイデンティティの古層は「声(のよさ)」なのだと、思い至った。
・ K君の音読の素晴らしさを可能にしていたのは、(英語そのもの以上に)その「声」であり、彼が生徒会の議長として活躍していた頃のことを思い出すと、その透きとおって遠くまで伝わっていく「声」の記憶が蘇る。
・ もう一線で「英語」を使わなくなったK君が、「声」に関わるところで新たな挑戦をすることは、私にはものすごく納得がいった。
・ 50代になって新しいことを始める奴が私の回りには多いのだが(私も例外ではない)、その「新しいこと」は、実は「古いこと」の蘇り・復活のような気がしてならない(私のレスリングも同様)。