中立的一元論(Neutral Monism)
『現実性の問題』(筑摩書房、2020年7月刊行予定)を書いていて、自分の考えを、ある種の「中立的一元論」としてまとめることができることを確認した。そこで次のような註を加えた。 >
本書第7章註(25)において、私は「マイナス内包へと降りていくことで、物と心は通底する」という考え方を、中立的一元論(Neutral Monism)の一種として述べた。その箇所では、潜在性の場(マイナス内包)を「一元」とする(物と心に関する)「中立的一元論」であった。それに対して、ここでは、無内包の現実性という力を「一元」とする(矛盾的な相貌に関する)「中立的一元論」である。そして、潜在性の場と現実性という力の両者は、「現実性はどこまでも潜在的であり、潜在性はどこまでも現実的である」(本書第2章参照)というメビウス的な関係にある。ということは、メタ的な中立的一元論になっている。 >
執筆中の本書は、原稿用紙600枚を超える大部になってきています。【最終的には700枚を超えました。2020年5月追記】
「それに対して、ここでは」の「ここ」とは、第8章「拡張された他者としての現実性」の註(13)。
こんな断片なのに興味を持ってくれる人がいることに、気をよくして、もう一言付け加えたくなった。二元論者が依拠するクオリアの内面性を徹底していくと、マイナス内包と無内包へと突き抜けることになって二元論そのものが壊れることになり、中立的一元論へ至る、という議論を本文では展開します。
個人的には、『相対主義の極北』と『あるようにあり、なるようになる』を踏まえて、その先へと議論を展開できている「昂揚感」があります。