湯浅和海氏が内田樹氏の道場を破門になった経緯
内田師範は、言うことこそコロコロ変わるけれど、やっていることはずっと同じで、しばしば「言っていること」と「やっていること」が矛盾していました。口では「相手と同化するのだ」と言っていながら、彼の技を受けていると、「無理やり言うことを聞かされている感じ」がいつも身体の中に残りました。「相手の言うことに耳を傾けるように」と指導していながら、彼が弟子の技を受けるときには、まだ弟子が動いている最中なのに勝手に受けを作って一人で転んでしまっていました。
私はその時の内田師範の技に「美」も「武」も感じませんでした。「街のどこにでもあるほど凡庸な暴力」以外のものを、私はそこに見出せませんでした。
> 私はその翌日の稽古で、内田師範が「こうすれば相手が思い通りに動く」とか「ここをこうすると相手が崩れる」とかいった説明をしきりにしているのを聞いて、心底悲しくなりました。
私は内田師範のことをとても「臆病な人」だと思いました。私に負けないくらい「臆病な人」だと思いました。
実際、その時の私は、「自分の感じていること」を内田師範に直接言葉で伝える勇気がありませんでした。それで、内田師範も見ているSNS上で、間接的に師範と道場の在り方とを批判しました。
それを見咎めた内田師範は、私の言い分を一切聞かずに、そのままSNSのダイレクトメッセージを使って、私に破門を言い渡したのです。
しかし、内田師範から「お礼より前に、自分がしたことについて謝罪するべきなのではないか?」と言われ、私は言葉に詰まりました。
私は「自分の考えを伝える仕方」については間違っていたと思っていました。だからこそ、今度の訪問では、師範の前で礼を失したりしないよう気をつけていたのです。
ですが、私は破門になってからの約半年の間に、自分の振る舞いや考えについてひたすら自問し続けた結果、「やはり自分は間違っていない」と感じていました。だからこそ私は、今度は「納得のいく伝え方」で「かつてと同じ考え」を伝えたいと思ってやってきたのです。
私は「謝罪の言葉」を、即座には口にできませんでした。
もしあのとき、「私の『伝え方』が間違っていました」と心からの謝罪することができていたら、また違った結果になったかもしれません。
直に伝える勇気がないのにSNSに書いてしまうという行動は、やはり問題だと思う。給金までもらってお世話になった相手に対してならなおさら。
師匠から離れる際の礼儀というのは、とても難しいということはわかるけれど。
2019/5/6