津村記久子のヴェイユ
津村 記久子「ひどく寒い日の光 (特集 いま、ヴェーユを<読むということ>)」春秋511号(2009年)2-4頁
時々、本当は自分は何も信じていないのだろうと思う。男も女も嫌いなんだ、人間が好きではないのだとうそぶいて、自分にとってストレスのない距離を作り出そうとしているが、それは悪い意味でも本当なんだろうと。誰の言うこともまともに聞いていないだろうし、誰に届かなくてもかまわないし、誰も良いと思っていない。何を書きたいとも思っておらず、何が書かれていても信じない、そういう気分になる時がある。ある部分では、悪びれではなく当たっていると思う。
そういう気分の時でも、シモーヌ・ヴェーユの言うことだけは聞く。意味がわからん、と思いながら、歯を食いしばって聞く。理解できるまで読み返す。
(略)
ここ一年半ぐらいの間、賞の結果を待ったり、人前で話したりという仕事で東京に行く機会がたくさんあったのだが、もうとにかく気が重いそういった上京の際には、必ず、好きな曲のファイルと一緒に、「重力と恩寵」を持って行っていた。読むわけではないのだが、ヴェーユの考えたことが鞄に入っているというだけで、いくらか安心した。これでいつでも失望できると思っていた。今もそれは変わっていない。もう自分は終わりだな、と考えるたびに、ヴェーユの本を持ち出してきて、ぱらぱらめくる。そして、終わりがなんなんだ、と思って元の場所に戻しに行く。シモーヌ・ヴェーユの考えたことを読んでいると、いろいろな屈託が切り捨てられていくのがわかる。世の中ではこうなのに自分は足りていない、とか、これだけのものを自分は得られていてもいいのにそうではない、とか、どうでもいい欲望が消え失せて、本当に自分が問題だと思っていることだけが残る。だからといって世界は変わらないのだが、人から押し付けられて自分が知らない間に受け取っている、無駄な目標が見えなくなり、良いところも悪いところも明晰に見えてくるようになる。自由になるのだ。幸福か不幸かも、強いか弱いかも一切問わない。本当の自由が自分の中を通って行く。
(略)
俯瞰して分析するのではなく、現場で体験した経験をもとに、言葉を発する。わたしが、わからないなりにも彼女の書いたものを読んでいくばくかの感慨を得ることができるのは、彼女の書くことがしばしば、勘の悪い読み手であるわたしのような人間にも届くほど生き生きしているからだ。雲間から突然射す光のように、精神に入ってくるのだ。頭の中で考えただけのことではなく、現場から持ち帰った実感を書くこと。それがたとえ、世界の悪辣さを言い当てるようなものであっても、胸のすく思いがする。それが成されることは、成されないことよりもはるかにましだからだ。彼女は、世界の悪辣さから隔てられようとはしなかった。安楽な場所からえらそうなことを言うという欺瞞は犯さなかった。そういう姿勢から発信される彼女の言葉は、希望のあるなしに関わらず、生きた考えであることを感じさせる。
(略)
信じる、それに足ると思わせてくれる人は本当に少ない。わたしにとって彼女はそういう人なのだ。そういう人が百年前に産まれて生きたということが、今のわたしを何とか踏みとどまらせている。そのことに感謝したい。これからもう、本当に膨大な時間がかかるかもしれないけれど、彼女の言葉のあとを追いたいと思う。もし彼女がわたしのことを知っていたら、めんどくさがるだろうし迷惑がるだろうなあと考えることもある。これが授業だとしたら、わたしは、後ろの方の席で、すみませんわかりませんとばかり言っている、ほとほと駄目な生徒だろう。けれどとても、その先生が好きなのだ。彼女は、気難しいし頑なだし、言ってることはたまによくわからないし、いやな奴はやり込めずにはすまないほど口がたって、あの人はああいうところさえなければねえといろんな人に言われてるけれども、とても正直で、優しい人だからだ。
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ブログの文章は、渡辺義愛先生か?
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津村記久子 労働を記録した哲学者の知恵 風化しない苦痛への実感 2018/4/7 日経
会社員として仕事をしていて学んだことの、おそらく最上位に来そうな事項は「メモをとれ」ということだと思う。とにかくメモをとれ。そうしたら、必ず何パーセントから何割かは救われる。半分とか、すべてとか、そういう派手な比重じゃないけれども、メモをとることは仕事の底上げをしてくれる。でも読み返さない、という反論があるかもしれないが、「メモを書いた」という行動の記憶自体が、やらなければいけないこと知ったこと学んだこと考えたことのトリガーになる。
「一、機械[型板]に詰めこみをしすぎることは、重大な事件をひきおこす危険がある。(中略)五、からだ中の力をかけてペダルをふむこと。六、ペダルの上に、片足をかけたままでいること」。これはわたしのメモではない。『工場日記』(ちくま学芸文庫、田辺保訳)の作者、哲学者シモーヌ・ヴェイユが教師の仕事を休職して、肉体労働の現場を知ろうと工場勤務をしていた頃に書かれた表である。とても勉強ができたはずのヴェイユもまた、こういった仕事のこつを記しながら勤務したと思うと感慨深い。
わたしは土木調査の会社で製本をする仕事を10年半やっていたのだけれども、いちばん役に立ったのは、預かった原稿から一冊の報告書ができるまでを順番に記したメモだった。10工程ぐらいだったと思う。覚えようと思ったら覚えられなくはないが、「次の工程を思い出す」という頭を使いたくなかったわたしは、その行為をメモにアウトソーシングした。7年ほどの間、そのメモを見ながら仕事をした。「不安になればメモに戻ればよい」という安心感は、自分の手を動きやすくしてくれた。
『工場日記』自体が、彼女が工場勤めをする中で書かれたメモのまとめであると言える。地下鉄で「もう、がんばれそうにないわ」と言う若い女性に、自分も、と共感したり、更衣室で陽気な冗談をきけたらそれだけでよい、と思ったり、仕事で失敗して仲のいい人に怒られてすごくこたえたり、その後同僚に慰められたり、といった実感と実態が書きとめられている。
工場での労働に、苦しみと達成感の両方を感じたヴェイユは「重要な事実は、苦しみではなく、屈辱である」と書く。これは働く者が自分の置かれた状況を判断するためのヒントなのではないか? 苦しみには持ちこたえられるかもしれないが、屈辱の中にはいるべきではない。労働の苦痛を解析し、選別し、言語化するヴェイユの実感は、今も風化していない。
2019/11/14