自信や自分らしさについて
20250908
YouTubeでメンタルコーチ的な人が相談に乗る動画をみて思ったこと。自信がないのはなぜだと思いますか?と問い、その原因を過去の原体験に求めようとする流れがあった。また、仕事や家庭でそれぞれ自分に求められる役割を演じていることがカメレオンのような生き方だという話もあった。
それの何が問題なんだろう?と思った。状況に応じて振る舞いを変えることは至って自然だし、自分らしさとやらを大事にして人への配慮や思いやりを失うのは違うのではないか。
そして、自信という考え方は不確かだと思う。不安という感情は実際に体感するものであり不確かではない。自信がない = 不安を感じる場面が多いという解釈ならば納得はできる。自信がないからどうしようと考えていても進まない。特定の場面で不安を感じないようにするにはどうしようと考えればどうか。例えば人と話すのが不安、なら話題を用意しておくとかそもそも親しくない人たちの集まりは極力避けるようにするとか不安を感じづらくする対処法を考えることができる。自信をどうやって上げようかと考えると、抽象的な課題となり、メンタルコーチのようなビジネスマンに相談し、お金を吸い取られることになる。
なぜこの話が気になったかというと、海外出身の彼女との会話で、自分はなるべく彼女が知っている語彙を選んで話すようにしているし、出身地の関西弁だと文法がわかりづらくなるため、標準語で話している。初期は違和感があったが、1年以上も続けると標準語で話すのも馴染んできた。ここで自分らしさを大事にして、関西弁で日本人のあるあるネタを話しまくるとどうなるか。何も伝わらないし、会話がストレスになって関係が壊れるだろう。
理想の自分を目指すのもいい。でもその過程で周囲の人を置き去りにしてもいいのか?強い自分になった結果、周囲をより幸せにできるという考え方なのだろうか、それも間違いではない。
言いたかったのは、不確かなものに囚われたくないということ。自信や自分らしさなんて探し求めてもどこにもないし、解釈次第でカタチを変えてしまう泡のようなものだ。それよりも嬉しさ、寂しさ、怒り、不安など日々感じていることを確かなものとして、正解のない中で悩みながら生きていく。それでいい。