知的生産の技術
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著者 #梅棹忠夫
読了: #2026/01 16 #読了
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人間の知的活動を、教養としてではなく、積極的な社会参加の仕かたとしてとらえようというところ
すでにアメリカでは、初等教育においてコンピューター用の言語 FORTRAN をおしえることがはじまったようだ。
この本は1969年の本
これはおもしろいとおもった現象を記述するのである。あるいは、自分の着想を記録するのである。
ちゃんとした文章でかくのである。
カードにかくのは、そのことをわすれるためである。
カードは、他人がよんでもわかるように、しっかりと、完全な文章でかくのである。「
無限の世界とのつながりを心のささえにしているようなところがあるらしい。カードは、その幻想をこわしてしまうのである。
それは、おもいきってカードを一万枚くらい発注するのである。一万枚のカードを目のまえにつみあげたら、
これのデジタル版は?
メモを公開するコミットメントをするとか?
垂直式ファイリング・システム
できるだけ障害物をとりのぞいてなめらかな水路をつくることによって、日常の知的活動にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだといってよいだろう。精神の層流状態を確保する技術だといってもよい。努力によってえられるものは、精神の安静なのである。
小泉信三『読書
大内兵衛・茅誠司他『私の読書法』(
読書技術のひとつに、ノートをとれ、ということがある。よみすすむにつれて、かきぬきをつくったり、おぼえがきや感想をかいたりせよ、というのである。しかし、わたしはそういうやりかたには賛成で
読書術は本によって変えるべきなので言い切れないのでは。
一ぺんよんでから つんどく
読書二遍」法を実行しているのである。二どの読書のあいだにはさまった「つん読」も勘定にいれると、三どよんだことになるであろう
なにかを「いうためによむ」のではなくて、むしろ「いわないためによむ」ので
漢字に代はる新日本文字とその
日本語のローマ字がき
分かち書きもするし、ハングルみたいなものか
日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である、
は、「文章は俳句のつもりでかけ」というのである。つまり、はぶけることばは徹底的にはぶいて、ぎりぎりまで、みじかくせよ、
俳句のような、一ぺんよんでも意味がすぐ了解できないような文章は、たいへんわるい文章ではないか、
みじかいことよりも、わかることのほうがたいせつ
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